トップ > 説教要約 > 2008年特別伝道礼拝

「聖書が語る家族」〜家庭形成の重要さ〜  辻 幸宏牧師

                                                  創世記4章

T.日本社会の問題
 @現在の日本の状況
 現在、日本社会は、様々な事柄でギクシャクしており、未来像が描けなくなっています。私たちの生活の基盤であります家族・家庭に関して、今日は考えていきたます。社会の不安定さは、生活の基盤である家庭にも、不安定な要素をもたらします。
 近年の家庭の問題として、親の自殺・蒸発・家庭内暴力・DV・離婚などがあり、そうしたことを経験した子供たちは問題を抱えつつ生きています。「アダルト・チルドレン」という言葉があります。本来は、アルコール依存症の親によって育てられた子供たちが、トラウマを抱えたまま成人し、大人になっても問題を抱え、正常な生活が出来い人たちのことです。しかし今では、機能不全に陥った家庭、つまり家庭が崩壊した家に育った子供たちが成人しても、同様の問題を繰り返すため、彼等もアダルト・チルドレンと言います。

 Aイエ制度
 昔ですと、良い意味でも悪い意味でも、イエ制度があり、秩序が保たれていました。家長に強い権限があり、家の人たちはそれに服従することが求められていたためです。実際には、様々な問題が家庭にあったとしても、覆い隠されてきて、表面化しなかったのです。しかし第二次大戦が終了後、民主主義が導入され、自由の名の下に、家庭制度も変化を遂げてきており、そのためにも「イエ制度を再構築すべきだ」と主張する人々も現にいます。
 しかしこうした主張は、一人の人間の尊厳が否定され、家長に対する従属関係、「オカミに従え」というピラミッド構造を持ち込むだけで、現実の問題を根本的に解決する手段ではなく、強い力によって問題を覆い隠すだけに過ぎないのです。

 B十人十色
 家族、家庭の問題に関しては、皆さんが語り始めますと十人十色です。ですから、根本的な問題を話し合いで解決していくことは至難の業です。ですから、私が個人的な意見を語ったとしても、そのことは一つの意見に過ぎません。

U.旧約聖書における人の罪
 @序
 そのため私たちは、全てを支配し、統治されています主なる神さまがどのようにお語りになられているか、聖書の御言葉に聞かなければなりません。
 聖書の最初には、天地創造の記事が記されています。主なる神さまは、6日間に、天地万物を創造し、第6日に人も神のかたちに、神に似せて造られました。そしてすぐ後に、最初の人、アダムとエバが、エビの誘惑により神さまから「食べてはならない」と命じられていた善悪の知識の木の実を食べ、人類に罪が混入します。創世記4章は、アダムとエバの罪の直後、アダムとエバの子供たちによって行われた兄弟殺しです。

 Aアダムとエバの家庭
 兄カインが弟アベルを殺します。神さまはアベルの献げものである肥えた羊の初子を喜ばれます。一方、カインが神さまに献げた土の実り(農作物)は喜ばれません。このことの妬みが兄が弟を殺すことの直接的な原因です。しかし単純化してはなりません。
 最初の罪を犯した時、母エバは善悪の知識の木の実を最初に食べ、次に父アダムに渡してアダムも食べます。この時、主なる神さまは彼らに事実関係を問われます。するとアダムは「エバが渡したから食べた」と語り、エバは「蛇がだましたので食べた」と語ります。互いに責任転嫁を行うのです。この時、アダムとエバは主なる神さまから命じられていた「善悪の知識の木の実からはとって食べてはならない」との命令を破ったのです。
 その結果、アダムとエバはエデンの園から追放され、そして罪の刑罰として死を避けて通ることが出来なくなります。汗水流して土を耕して食べ物を得ることが必要となります。アダムとエバの関係はギクシャクし、そしてこうした問題が子供たちにも大きな影響を与えます。こうした家族の関係は、引き継がれ、社会全体に蔓延します。改めてアダムとエバにセトが生まれ、そこから子孫が増えていきますが、家族の崩壊は、社会の崩壊へと向かいます。創世記の6章に入れば、ノアの時代に入り(アダムとエバから10代後の世代)、罪が蔓延して、主なる神さまが人類を裁く決意をされるまでに至ります。
 社会にこうした問題が生じた時、人間は問題解決の必要性は感じつつも、強い者が弱い者たちに服従させることしか出来ず、根本的な問題解決をすることが出来ないのです。

V.罪の克服
 @十戒
 主なる神さまは、人が他人を服従させるかたちではない形で、社会を形成し、秩序をたてるために、「律法」をお与え下さいました。その代表が十戒です。人間の相対的な関係では善悪の基準を作成することが出来ないため、神さまが絶対的な基準をお教え下さったのです。十戒は、最初の4つが宗教的な事柄であり、残りの6つが道徳的な事柄です。唯一の主なる神さまを信じて神さまを礼拝するという前半部分も疎かにしてはなりませんが、今日は後半に注目します。主イエスは、この6つを要約して『隣人を自分のように愛しなさい』(マタイ22:39)と語ります。周囲の人々に対する愛を、主は求めておられます。
 「十戒」と言えば、服従・強制と思いがちですが、英語では“Ten Commandments”「十の言葉」であり、神さまからの愛の言葉です。私たちの教会で信仰告白文書としてウェストミンスター大教理問答がありますが、その中で、次のように述べています。問99「十戒を正しく理解するためには、どのような規則が守られなければなりませんか」答「@律法は完全でありその正しさに全人あげて全く服し、永久に全き従順を示すよう、あらゆる人を拘束する。従って律法は、あらゆる義務の完璧な履行を求め、また、あらゆる罪の最小限をも禁じる。A律法は霊的なものである。従って、ことば・行い・ふるまいだけでなく、理解力・意志・感情・その他、魂のすべての能力にかかわる。」

 Aまず理解することから
 十戒の第五戒で「父と母を敬え」と語りますが、すでに家庭崩壊している家庭や、アダルト・チルドレンなどは、すでに親子関係が崩れているため、「この戒めに従えない」と言われるでしょう。しかし、律法とは霊的なものであり、理解力・意志・感情・その他、魂のすべての能力に関わるのです。つまり第一に相手を理解することが必要です。相手を拒否すれば、理解することは出来ません。そして、相手を受け入れ、理解することが出来ない自分がいることにまず気がつかなければなりません。主なる神さまは、私たちに律法に示された言葉に従うように求めつつも、そのことを全うできない弱さ、罪があることをお示し下さいます。この弱さに気がつかなければ、主なる神さまが語られる御言葉に聞こうとはしないからです。自らの弱さ、自らの罪に気がつくべきです。そのことによって、初めて相手と、正面を向いて、向かい合うことが出来るようになるのです。
 主イエスは全ての人のことを見て知っておられます。徴税人ザアカイという人がいました(ルカ19章)。徴税人は罪人とされていました。人々から必要以上の税金を取り立て、私服を肥やしていたからです。イエスさまを見ようとして、木に登って眺めていたザアカイに、イエスは「ザアカイ、急いで降りて来なさい。今日はぜひあなたの家に泊まりたい」とお語り下さったのです。イエスさまはザアカイの名を知り、罪を責められることなく、彼を受け入れて下さったのです。ザアカイは、罪を悔い改め、イエスさまを信じます。

 B罪を許す・赦すこと
 相手を理解しようとすると、ただ否定することばかりではなく、罪故の弱さが見えてくるのではないでしょうか。弱さ・罪を認め、許し、相手を受け入れることが必要です。相手に変化を求める前に、自分が変わらなければなりません。主イエスは「敵を愛し、自分を迫害している者のために祈りなさい」とお語りになります。相手がどういう状況にあったとしても、まずその弱さを受け入れようとしなければ、問題は解決できないのです。そして、相手を受け入れ、真に祈り求めることが出来る時、相手を否定することなく、心を閉ざすことなく、オープンにすることです。互いに心の扉が開かれた時、そこで、誤りに関しては建設的に指摘し、修正を求めていくことが出来るようになるのです。
 主イエスは、十字架に架かられ、苦しまれ、死を遂げられました。アダムの罪の故、私たちの日々の罪の故に、神から離れ、死ぬ者となった私たちのために代わって、死を遂げて下さいました。イエスさまの十字架があるからこそ、神を信じる私ちは罪が赦され、神さまとの和解が与えられ、神の子として、天国での永遠の生命が約束されています。
 主イエスはご自身が十字架に架けられる時、イエスのことを「知らない」と三度も語った弟子ペトロに対して、ご自身が復活された後にお会いになりました(ヨハネ21:15-19)。そして主イエスはペトロの罪を赦し、さらに彼を教会の指導者としてお立て下さいました。同様に主イエスは、私たちのことをも知り、受け入れ、罪を赦して、神さまの身元にお集め下さいます。だからこそ私たちも、社会を形成するにあたり、またその基盤である家庭を形成するにあたって、まず相手のことを受け入れ、心を開き、許すことから始まります。

                                               (2008.6.8)
COPYRIGHT(C) 2008 日本キリスト改革派大垣教会  ALL RIGHTS RESERVED



戻る