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日本キリスト改革派
   大垣教会  月報
 
生命のいずみ
 
(第25号 2006年2月)
 
 
 
 

      信仰の問題として憲法改正を考えよう(上)         辻 幸宏

 今、政府と自民党は、憲法改正と教育基本法改正、さらには共謀罪の制定を行おうと議論を進め、自民党新憲法草案(以下:草案)も発表されました。政教分離を立て前に、「教会は国家のこうした行為に対して、口を出すべきではない」と、教会の中ですら語られることがあります。しかし私たちの教会は、信仰の問題として、この問題に取り組んでいかなければなりません。戦中、日本国内のキリスト教会は国家に妥協・協力して、天皇を崇拝し、神社参拝することにより偶像崇拝を行い、戦争にも積極的にも関わり、朝鮮・台湾などいわゆる植民地とした地域にも宣教を行うと同時に、現地のキリスト者たちにも神社参拝を強要していったのです。同じ過ちを犯さないためにも、私たちは、現在進められている憲法改正論議に無関心であってはならず、また、今、政府と自民党が進めようとしている草案を受け入れることは、決して許されてはなりません。

 二つのポイントを注意しなければなりません。第一は、戦争の問題に関わります第9条の問題です。そして第二の点は、信仰の自由の問題です。これらは、根本的な解決をしなければならない天皇制の問題にも関わってくるのですが、直接的にはここでは取り上げないことにします。

 〈前文について〉
 第一の点に関して、第9条を確認する前に、まず前文を確認いたします。現憲法においては、戦争の惨禍を言及し、同じことを繰り返さないためにも恒久平和を念願し、平和の実現のために努める主旨のことが語られています。最後の一文を引用しておきます。
 「日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理念と目的を達成する
  ことを誓ふ。」
 一方草案においては、表面的には「正義と秩序」を語りながらも、「正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に願い、他国とともにその実現のため、協力し合う。国際社会において、価値観の多様性を認めつつ、圧政や人権侵害を根絶させるため、不断の努力を行う。」と語り、価値観が異なる人たちに対しては、暗に武力制圧を行うことを語っています。
 また、草案において、「象徴天皇は、これを維持する」という文言を前文に加えることにより、「主権の存する日本国民の総意に基づく」(第1条)以前に、天皇ありきの姿がはっきりと伺えます。私たちは、戦中、戦争に頭を垂れ、神格化された天皇に偶像崇拝した教会の歴史を忘れてはならないのです。

 〈平和主義:第9条〉
 第9条における「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争と解決する手段としては、永久にこれを放棄する。」とした文章は、草案にも残されていますが、第2項が全面的に書き改められています。現憲法では、「前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。」となっていたところを、「(自衛軍)我が国の平和と独立並びに国及び国民の安全を確保するため、内閣総理大臣を最高指揮権者とする自衛軍を保持する。・・・」となっています。明らかに第1項との矛盾の文章であります。
 また、私たちキリスト者の立場からすれば、主が求めておられるのは、あくまで平和であり、第六戒「殺してはならない」を守り抜かなければなりません。そのためには、いかなる武力や武力行使も否定されるべきであります。ウェストミンスター大教理問答において、「公共的正義、合法的戦争、あるいは、やむをえない防衛」については第六戒の例外規定であることを認めていますが、特に合法的戦争に関しては、ナチによって迫害を受けていたユダヤ人や、日本軍によって虐待され、すべての自由が奪われた朝鮮や中国の人たちの場合、該当するでしょうが、厳密に解釈すれば、そう簡単に合法的戦争といわれる行為はなく、昨今行われている戦争は、「合法的」との大義名分のもとに行われた侵略戦争、あるいは覇権主張戦争と言えるのではないでしょうか。
 ですから、現在、自衛隊によってアフガニスタンやイラクにおいて行われているような、全世界規模に軍隊を派兵することを前提としている自衛軍の創設には、私たちは反対していかなければならないのです。

 第二の信仰の自由についてや、現代版治安維持法と呼ばれている共謀罪についても語る必要がありますが、スペースが無くなりましたので、次回取り上げることといたします。


推薦図書:「わたしたちの憲法 前文から第103条まで」西川重則:著 いのちのことば社


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