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【今週の聖書日課】
  神様は約束通り、アブラハムの子、ダビデの子として救い主イエス・  
マタイ1:1〜17 キリストがお生まれになりました。  
  主イエスは、処女マリアが聖霊によって宿り誕生されました。その名(創  
マタイ1:18〜25 2:19)は、「インマヌエル、神は我々と共におられる」です。  
  占星術の学者たちは、異邦人であり異教徒でしたが、主によって集め  
マタイ2:1〜12 られ、御子の御降誕をお祝いし、主を信じるものとされました。  
  主は幼子のイエスさまをエジプトに逃れさせ、ヘロデから救って下さ  
マタイ2:13〜23 いました。主は神の子である私たちを守って下さいます。  
  洗礼者ヨハネは、イエス様の道を整えるために来られました。そして  
マタイ3:1〜12 人々に罪の悔い改めを説き、洗礼を授けました。  
  主イエスも洗礼を受けられました。この時、父なる神様と聖霊なる神  
マタイ3:13〜17 様の祝福に満たされました。  
  サタンは様々な仕方で誘惑を仕掛けてきます。しかし御言葉はその答  
マタイ4:1〜11 えを備えて下さいます。自らの知恵ではなく主の知恵に委ねましょう。  
  主イエスは福音を宣べ伝え始められました。4人の漁師は、主の召し  
マタイ4:12〜22 に聞き従いました。主は私たちを召して下さっています。  
  主イエスは、全てを支配される力があり、病気や苦しみ悩む者をも癒  
マタイ4:23〜25 し、救い出して下さいます。信じて祈りましょう。  
  「至福(八福)の教え」です。キリストに従う者の内的条件が、召され  
マタイ5:1〜12 たばかりの弟子たちに教えられています(祈祷会奨励参照)。  
  キリストに従う者は、地の塩、世の光です。キリスト者は、存在する  
マタイ5:13〜16 だけでキリストを証ししています。全てを照らす光でありましょう。  
  キリストの十字架により律法は完成しました。律法による救いを求め  
マタイ5:17〜20 るのではなく、福音による救いに感謝しましょう。  
  キリストは、神様と私たちとの和解をなして下さいました。私たちも  
マタイ5:21〜26 敵対する者ではなく、和解する者であり続けましょう。  
  犯罪、それは行動のみならず、その様に考えること、心に思うことす  
マタイ5:27〜30 らも、神様はご存じであられます。罪の悔い改めが求められています。  
  離婚が許されるのは、@配偶者の姦淫とA非キリスト者の配偶者が離  
マタイ5:31〜32 れていく場合のみです(参照:信徒の手引き第二章X)。  
  主は約束を果たして下さいます。私たちも契約・約束の誓いは果たさ  
マタイ5:33〜37 なければなりません。果たせない約束はしてはなりません。  
  「目には目を・・」これはそれ以上の復讐をしてはならないのです。主  
マタイ5:38〜42 は私たちの罪を赦して下さいました。私たちも許し合いましょう。  
  主は平和と和解を求めておられます。敵を愛することによりキリスト  
マタイ5:43〜48 の愛が、相手にも伝えられていきます。  
  主は私たちの全ての行いと心を知っておられます。人前で善き業をし  
マタイ6:1〜4 て賞賛を求めるのではなく、主の誉れのために善き業をしましょう。  
  私たちの祈りの見本です。主は私たちの祈りを聞き届けて下さいます。  
マタイ6:5〜15 主に委ね、信じて祈り続けましょう。  
  断食を行うのも主のための礼拝行為です。人々に賞賛を得るためでは  
マタイ6:16〜18 なく、主の栄光を称えるために行いましょう。  
  地上の富・権力は時を経て朽ち果てます。しかし天の富である御言葉  
マタイ6:19〜21 は朽ち果てることはありません。  
  世を照らす光は、御言葉によって与えられます。御言葉から離れれば、  
マタイ6:22〜23 世の罪によって曇り、正しい判断をすることが出来なくなります。  
  人間は、神様による祝福を求めるか、自らの富・権力を求めるか二つ  
マタイ6:24 しか生き方がありません。永遠である神様を求めて行きましょう。  
  神様を求め、神様に全てを委ねて歩みましょう。そうすることにより、  
マタイ6:25〜34 神様は神の子である私たちの全ての必要を満たして下さいます。  
  人の罪を裁くのは神様の御業です。私たちは自分自身にある罪を自覚  
マタイ7:1〜6 し、悔い改め、神様への信仰を日々新たにしていきましょう。  
  私たちは全ての必要を神様に求めることが許されています。私たちの  
マタイ7:7〜12 お父様であります神様は、私たちの必要を満たして下さいます。  
  神様を信じる人は少ないです。しかし皆が行き道が正しいとは限らな  
マタイ7:13〜14 いのです。何が真実であり、救いと永遠の生命の道かを見極めよう!  
  私たちは経験により物の善し悪しを判断することが出来ます。同様に  
マタイ7:15-20 神の善とサタンの悪との判断を御言葉によって行える者でいましょう。  
  苦しい時のみ主により頼むのではなく、常に神様が共におられ、守り  
マタイ7:21-23 導いて下さっていることに感謝し、主により頼みながら歩みましょう。  
  家の土台として岩盤が必要です。同様に私たちの信仰の土台には御言  
マタイ7:24-29 葉が必要なのです。御言葉に聞き、御言葉に従って歩みましょう。  
  不治の病である重い皮膚病を、主イエスは癒されました。主には不可  
マタイ8:1-4 能がありません。信じて祈りましょう。  
  信仰とは信じることです。疑う者ではなく、百人隊長が主イエスを信  
マタイ8:5-13 じたように、私たちも主を信じましょう。  
  主イエスは病人を癒されることにより、主の力と権威を示されました。  
マタイ8:14-17 私たちの罪という大罪も、主によって癒され赦される必要があります。  
  主イエスに従うことは、神様の要求を第一にすることです。主の日に  
マタイ8:18-22 礼拝すること、御言葉と祈りに仕えることが、求められています。  
  弟子たちは自分の力量で舟を漕ぎましたが波にのみこまれそうになり  
マタイ8:23-27 ました。主イエスは自然をも支配され、自然を従わせられます。  
  悪霊は真の神様を知っています。その上で私たちを従わせようとしま  
マタイ8:28-34 す。主イエスは、悪霊をも従わせる力を有しておられます。  
  主イエスは、人間を支配しておられます。だからこそ主イエスは、罪  
マタイ9:1-8 を赦すことも、病気を癒すこともお出来になられる神様です。  
  徴税人は人々をだまして財を蓄え、人々から嫌われていました。しか  
マタイ9:9-13 し主イエスは、徴税人マタイの罪を赦し、弟子にしました。  
  新しい革袋としてのキリストは既に与えられています。神様からの恵  
マタイ9:14-17 みによる救いを信じましょう。  
  キリストには人を癒し復活させる力を有しておられます。私たちは、  
マタイ9:18-26 キリストの御力により永遠の生命が与えられることを信じましょう。  
  キリストには不可能はありません。それは全てを御支配されているか  
マタイ9:27-31 らです。キリストの御力を信じましょう。  
  主イエスは、全ての者を覚え、深く憐れんでいて下さいます(36)。神  
マタイ9:32-38 様は私たちを置き去りにされることはありません。  
  主イエスは、福音を伝えるために12名を選ばれました。12人は、何も  
マタイ10:1-15 持たず、全てを神様に委ねて福音を宣べ伝えました。  
  人は神様を信じる者を迫害します。しかし私たちは体は殺せても魂を  
マタイ10:16-31 殺すことの出来ない者を恐れる必要はありません(28,創世2:7,大教理17)  
  キリストを告白する者は、キリストの復活の時、無罪とされ、神の子  
マタイ10:32-42 とされます(32,小教理38)。  
  人は、預言者の言葉に従わずあら探しをします。しかし私たちが求め  
マタイ11:1-19 られていることは、その働きを見て信じ、従うことです。  
  神様は私たちの全てをご存じであられ、私たちが自らの罪を知り、悔  
マタイ11:20-24 い改めることを求めておられます。  
  神様は私たちの重荷をご存じであられ、いつでも待っていて下さいま  
マタイ11:24-30 す。そして休ませて下さいます。安心して歩みましょう。  
  安息日は、私たちの救いのために定められているのであり、私たちを  
マタイ12:1-8 苦しめるためにあるのではありません(小教理60)。  
  神様は私たちに安息日に礼拝を献げることを要求しておられます。し  
マタイ12:9-14 かし安息日に憐れみの業をなすことは、禁止されてはなりません。  
  人々は神様の救いに対して、疑い迷います。しかし神様はそうした人  
マタイ12:15-21 こそ神様による救いを信じることを切に願い、待っていて下さいます。  
  キリストは悪霊にも打ち勝つからこそ、全てを支配し統治する力を有  
マタイ12:22-32 しておられます。だからこそ私たちにも罪の赦しをお与え下さいます。  
  神様は私たちの全てをご存じです。そして私たちの発する言葉により  
マタイ12:33-42 裁かれ、また神様を信じる者は義とされます。  
  罪の悔い改めを行い回心しても、神様への信仰がなければ、罪に誘う  
マタイ12:43-45 悪霊は戻ってきて、悪霊の支配を受けることとなります。  
  キリストを信じる者は、神の御国におけるキリストの兄弟・姉妹・母  
マタイ12:46-50 とされ、霊的にキリストに繋がります。  
  クリスチャンは既に神の子とされた良い土地に落ちた種を頂いていま  
マタイ13:1-23 す。神様によって与えられている収穫に感謝して主に仕えましょう。  
  最後に残るのは良い種だけです。毒麦は、最後の審判によって火で焼  
マタイ13:24-43 かれて滅ぼされます(信仰告白8:4,25:5)。  
  天の国は、神様によって救われた者のみが残されます。そこは罪のな  
マタイ13:44-52 い全く聖くされた場所です(信仰告白25:2,25:5)。  
  人間イエスではなく、神の子、仲保者、贖い主である主イエス・キリ  
マタイ13:53-58 ストを受け入れましょう。  
  娘は母にそそのかされて、ヨハネの首を要求しました。罪をそそのか  
マタイ14:1-12 すのは、神様の御前に罪を犯しているのです(大教理130)。  
  主は、私たちの日々の食べ物を全て準備して下さいます。主によって  
マタイ14:13-21 与えられている日々の食事に感謝しましょう。  
  主イエスは、自然をも支配しておられます。主は私たちの求めを受け  
マタイ14:22-33 入れて下さり、最も良き方法で私たちを導いて下さいます。  
  キリストを救い主として信じて、キリストの下に来る者は、キリスト  
マタイ14:34-36 によって癒され、救われます。  
  善悪の規準は、聖書にのみあります。人から言われることに右往左往  
マタイ15:1-20 することなく、聖書の言葉に聞き従いましょう(小教理18,65,72)。  
  カナン人は異邦人であり、当時まだ福音が示されていませんでした。  
マタイ15:21-28 しかしキリストは、彼女の信仰を認め、娘の病気を癒されました。  
  福音はイスラエルから異邦人に広まります。キリストの御力は、異邦  
マタイ15:29-31 人の中にあっても、病人を癒されることにより表されていきます。  
  神様は、私たちに必要な食事をお与え下さいます。飽食の日本にあっ  
マタイ15:32-39 て、神様がお与え下さる食事の恵みを忘れてはなりません。  
  私たちの周囲には人を惑わす多くの事に満ちています。しかし私たち  
マタイ16:1-12 を正しい道へ、救いへと導いて下さるのは御言葉の聖書だけです。  
  「あなたはメシア、生ける神の子です」この信仰告白に生きる者が集  
マタイ16:13-20 う所に、キリストにより教会が建てられていきます。  
  主イエスは3度、十字架と復活の予告をします(17:22-23,20:17-19)。  
マタイ16:21-28 キリストの十字架に従うことにのみ、救いの希望があります。  
  モーセは律法の指導者の代表、エリヤは預言者の代表です。そして主  
マタイ17:1-13 イエスは、旧約聖書を成就する者、つまり救い主そのものです。  
  からし種一粒の信仰、つまり胡麻よりも小さな信仰を持ち、主に全て  
マタイ17:14-20 を委ねることを求めておられます。それすら持てない弱さがあります。  
  主イエスの十字架と復活の二回目の予告です。3度語るとは、十字架  
マタイ17:22-23 と復活が、キリスト教信仰にとって非常に重要な事であるからです。  
  王の王であられるキリストにとって納税義務はありませんでした。し  
マタイ17:24-27 かし私たちは世に立てられた権力者の制度に従う必要があります。  
  自分を低くしへりくだることにより、子供や弱さを覚える者を受け入  
マタイ18:1-5 れ、キリストをも受け入れることが出来るように導かれます。  
  つまずき、つまり人の痛みを理解するためには、常に相手の立場に立  
マタイ18:6-9 つ必要があります。そこからへりくだりと罪の赦しが生じてきます。  
  主は今なお神様の御前にいないあなたを待っていて下さいます。あな  
マタイ18:10-14 たの滅びは神様の御心にもなく、大きな悲しみです。  
  人間は弱く罪を犯します。主がお求めなのは、その罪を主の御前に悔  
マタイ18:15-20 い改め、主の赦しに感謝を表すことです。  
  主は憐れみ深く、私たちの罪を赦し続けて下さいます。だからこそ、  
マタイ18:21-35 私たちも隣人の罪を赦すことが求められています。  
  結婚は創造の秩序であり、二人が一体となります。死別・相手の姦淫  
マタイ19:1-12 の罪以外に離婚は認められません。  
  子供は無邪気であり善悪の判断もできません。しかし主は、子供を受  
マタイ19:13-15 け入れて下さり祝福して下さいました。救いは受け入れからです。  
  すべては主がお与え下さいました。すべてを感謝して有効に用いてい  
マタイ19:16-30 く必要があります。主は私たちに必要を満たして下さいます。  
  人が信仰を持つのは、時を待たねばなりません。遅くても主の豊かな  
マタイ20:1-16 祝福が約束されています。焦らず祈りましょう。  
  主イエスの三度目の死と復活の予告です。三度繰り返されることは、  
マタイ20:17-19 非常に重要なことを語ることを意味しています。  
  主イエスは、私たちの罪を償うため、十字架の死を遂げられることに  
マタイ20:20-28 より、すべての神の民のために仕えて下さいました。  
  主は、救いを求める私たちの祈りを聞き届けて下さいます。信じて祈  
マタイ20:29-34 り続けましょう。  
  主イエスのエルサレム入城です。馬ではなく子ろばでの入城は、王の  
マタイ21:1-11 王たる主イエスが、平和の使者であり卑しい姿だからです。  
  強盗の巣と化したエルサレムで、主イエスは人の欲望のため裁かれま  
マタイ21:12-17 す。神の宮たる会堂は常に御言葉と祈りの場として解放されています。  
  主イエスがいちじくの木を呪ったのは、イスラエル人がいちじくの象  
マタイ21:18-22 徴であり一見敬虔そうだが実体のない信仰への嘆きと裁きのためです。  
  主の預言者である洗礼者ヨハネが指し示した救い主が主イエスです。  
マタイ21:23-27 主イエスが天からの権威、神の権威者であられます。  
  神様が求められることは、口で「信じます」と答えることではなく、  
マタイ21:28-32 真の罪の悔い改めを行い、主の御言葉に聞き従うことです。  
  ユダヤ人は、預言者と洗礼者ヨハネと主イエスを殺しました。しかし  
マタイ21:33-46 キリストは十字架の死と復活により、救いをお与え下さいました。  
  主は神の国の婚宴である礼拝に招いて下さっています。多くの人々が  
マタイ22:1-14 招かれていますが、主の御声に聞き従い救われる人は少ないのです。  
  主の権威の下に王が立てられています。だからこそ主に従うように、  
マタイ22:15-22 王に対しても従うよう、主イエスは求めておられます。  
  復活によって与えられる神の国の新しい世界では、現在の秩序とは異  
マタイ22:23-33 なり、天使のように復活します。死んでも生きるのです。  
  最も重要な掟で、十戒の要約の2つです(小教理42)。神への信仰も、  
マタイ22:34-40 人への従順も、愛が伴ってこそ、生きた働きとなります。  
  キリストはダビデの子です。しかしダビデはメシアを主と呼んでいま  
マタイ22:41-46 す(詩110:1)。メシアは霊的であり、軍事的政治的ではありません。  
  御言葉には聞き従わねばなりませんが、牧師や上に立つ者だからと言  
マタイ23:1-12 うことで、御言葉の教え以外のことに聞き従う必要はありません。  
  偽善者の罪は、あらゆる事柄にまで及びます。主がお求めになられる  
マタイ23:13-36 のは、遜りと罪の悔い改めであり、主の御言葉に聞き従うことです。  
  エルサレムであるイスラエルの民は、旧約の預言者たちを、そしてイ  
マタイ23:37-39 エス様を殺します。そして主の悔い改めの声に従うことはありません。  
  神殿の崩壊は、AD70年に実現しますが、ここでは神の宮であるイエス  
マタイ24:1-2 様御自身のことを語っています。  
  神殿の崩壊=終末ではありません。終末の様々な現象が現れても、主  
マタイ24:3-14 への信仰を貫き、耐え抜く者は救われます。主を信じて歩みましょう。  
  終末には、偽キリストが現れます。だまされないためには、御言葉の  
マタイ24:15-28 正しい判断をする訓練が求められています。  
  人の子、つまりキリストの再臨の時、神様に選ばれた神様を信じてい  
マタイ24:29-35 る者は呼び集められ神の国に入れられ、サタンは裁かれます。  
  主の再臨(終末)は突然来ます。先延ばしすることは許されません。今、  
マタイ24:36-44 罪を悔い改め、主への信仰を告白し、従順な生活を行いましょう。  
  前回と同じ事がたとえ話としても言われています。神様を信じること  
マタイ24:45-51 は、今、神様の御言葉に耳を傾け、それに従う者となります。  
  終末の出来事が記されています。キリストの再臨は、私たちにはいつ  
マタイ25:1-13 か示されていません。常に準備し、備えておきましょう。  
  主がお与え下さったもの(賜物)は、用いることにより生かされます。  
マタイ25:14-30 与えられた賜物を存分に用いて、主に仕えていきましょう。  
  主は、私たちの小さな行いも全てご存じであられます。救いに導いて  
マタイ25:31-46 下さる主の愛を私たちが実践するには、横にいる隣人に行うことです。  
  主イエスは、自らが十字架に架かられる時を知っておられます。主は  
マタイ26:1-5 私たちの全てをもご存じであられます。隠れることは出来ません。  
  主イエスを葬るためになされた丁重な奉仕に対して、主イエスは喜ん  
マタイ26:6-13 で受け入れて下さいます。  
  イスカリオテのユダは、金に目がくらみ、銀貨30枚(日当の約1.3陪程  
マタイ26:14-16 度)で、主イエスを売ります。  
  主イエスが裏切り者を指摘される時、誰もが「主よ、まさかわたしの  
マタイ26:17-25 ことでは」と疑います。人間は弱く、罪深い存在です。  
  罪の赦しの宣言が語られる契約の言葉です。「わたしの父の国であなた  
マタイ26:26-30 がたと共に新たに飲むその日」を、私たちは待ちわびているのです。  
  私たちは自分の力で信仰を守り抜く強さは持っていません。主がお与  
マタイ26:31-35 え下さる罪の赦しと救いの信仰に、感謝しましょう。  
  「心は萌えていても、肉体は弱い」私たちです。主イエスは私たちの  
マタイ26:36-46 救いのために御心に従い十字架での苦しみと死の道を果たされました。  
  「剣を取る者は皆、剣で滅びます」主イエスは、裁きを主に委ね、十  
マタイ26:47-56 字架の道を歩んで下さいました。  
  大祭司カイアファは、神に仕えていることを忘れ、自らの心に欲する  
マタイ26:57-68 ままに主イエスを裁判にかけて  
  ペトロは非常な恐怖の中、とっさに主イエスの存在を否定しました。  
マタイ26:69-75 私たちも弱いです。主はペトロと私たちの弱さをも赦して下さいます。  
  ユダは自らの罪を悔やみ死にました。しかし主が求めておられること  
マタイ27: 1-10 は、罪を悔い改め、主によって生かされることです。  
  キリストは自らの保身のためではなく、主のご計画が成し遂げられる  
マタイ27:11-14 ことを願われ、十字架の道を歩まれました。  
  ピラトは自らの職務を放棄し主イエスの十字架の責任をユダヤ人に押  
マタイ27:15-26 しつけました。しかしその罪は避けられません。  
  兵士は囚人イエスをからかいます。権力に従うのではなく、真実・真  
マタイ27:27-31 理に従うものでありましょう。  
  キリストの十字架、これこそ私たちの罪の刑罰の光景です。キリスト  
マタイ27:32-44 は私たちに代わって十字架にお架かり下さいました。感謝します。  
  キリストの死により、旧約の神殿と儀式は必要なくなりました。キリ  
マタイ27:45-56 ストの死こそ、唯一・真の贖罪だからです。  
  キリストは王の王として相応しい葬りがなされました。キリストの死  
マタイ27:57-61 は仮死状態ではなく、確かに肉体の死を遂げ陰府に下られたのです。  
  ユダヤ人たちはキリストが復活せず、弟子たちが嘘を語らないように  
マタイ27:62-66 番兵を置きました。これもキリストの復活を証ししています。  
  キリストは三日目に復活しました。マグダラのマリア、もう一人のマ  
マタイ8:1-10 リア、番兵たちがそのことを証しする者となりました。  
  祭司長や長老たちは番兵に金を与え、キリストの復活を否定させまし  
マタイ28:11-15 た。しかし真実は、歪めるこのは出来ません。  
  復活のキリストは、信じて父と子と聖霊の名によって洗礼を受けるこ  
マタイ28:16-20 ととキリストの教えを守ることを命じています。  
  洗礼者ヨハネは、主の道を整えるために、キリストに先立ち主からつ  
マルコ1:1-8 かわされました。しかし信じるべき方はヨハネではなくキリストです。  
  主イエスが洗礼を受けられることにより、御父(の声)・御子・聖霊(鳩  
マルコ1:9-11 のように降って来た)なる三位一体なる神様であることが示されました  
  主イエスの公生涯は、福音を宣べ伝えることであり、それは同時にサ  
マルコ1:12-15 タンに対する勝利を獲得する働きでもありました。  
  主イエスは4人を召して下しました。彼らはすぐ聞き従いました。私  
マルコ1:16-20 たちが神の子とされるのは、聖霊を通して主による召しの結果です。  
  主イエスは、見せかけで偉そぶる律法学者のようではなく、聖・義・  
マルコ1:21-28 真実による神の権威をお示しになられました。  
  主イエスは、病や悪霊をも支配なさり、聞き従わせることのお出来に  
マルコ1:29-34 なられる真の神様、真の権威者です。  
  宣教の力は、何よりも静まり、主の御前に祈り求めることにより、そ  
マルコ1:35-39 の力が与えられます。祈る教会であり続けましょう。  
  真実に罪の赦しと救いが示されると、主を礼拝し、人々に対してもそ  
マルコ1:40-45 の喜びが溢れる生活へと導かれていきます。  
  主は私たちの心の中も全てご存じであられます。汚れ罪深い私たちを  
マルコ2:1-12 なおも主は受け入れて下さり、救って下さいます。  
  収税人は一番罪の深い人間とされていました。しかし主イエスは収税  
マルコ2:13-17 人マタイを弟子として召して下さいました。  
  主イエスが求められているのは、断食をするという行為ではなく、主  
マルコ2:18-22 を信じる信仰であり、主の御言葉に聞き従うことです。  
  主が、主の日(安息日)を一日休み、礼拝を求められるのは、私たちに  
マルコ2:23-28 とって肉体の休息と、主の救いを覚えるのに必要だからです。  
  主の日であっても主の癒しを求めている人が忘れ去られてはなりませ  
マルコ3:1-6 ん。だからこそ医療従事者等が主の日に働くことは許されます。  
  汚れた霊は、サタンそのものであり、主の存在を知っています。主を  
マルコ3:7-12 強く拒絶する者は、ある意味で主の御力を知っているからです。  
  主イエスは、「これと思う人」を召して12使徒として任命して下さいま  
マルコ3:13-19 した。キリスト者として召されたことに感謝して日々歩みましょう。  
  どの様なことを行ってきた人であっても、主を信じる人は救われます。  
マルコ3:20-30 しかし聖霊による主の御業を拒絶する者は罪の責めを負います。  
  神様を信じ、主の御言葉に聞き従う私たちは、キリストを長兄とする  
マルコ3:31-35 兄弟姉妹として、主に繋がり、神の子とされています。  
  神の御言葉を受け入れ、信仰生活を続けている私たちは、良い土地に  
マルコ4:1-20 蒔かれた種です。主によって養われ、信仰の成長が約束されています。  
  私たちには信仰という光が与えられています。信仰生活を続け、証し  
マルコ4:21-25 していくことにより、多くの人々に主の光を照らしていきましょう。  
  私たちの信仰は、からし種が米粒より小さな種から一年で2〜3m成長  
マルコ4:26-34 するように、主により養われていきます。  
  主は全てを御支配になられており、自然界をも従わせる力を有してお  
マルコ4:35-41 られます。だからこそ主に不可能なことはありません。  
  悪霊も、創造主であり、全てを治めておられる主に逆らうことは出来  
マルコ5:1-20 ません。だからこそ私たちはサタンの誘惑を恐れることはありません。  
  主の御支配は、人間の死の世界にも及びます。だからこそ私たちは体  
マルコ5:21-43 の復活と永遠の生命をも信じることが出来るのです。  
  主イエスは、信じようとしない郷里の人々の前では、奇跡を行われる  
マルコ6:1-6a ことをなさいませんでした。信じれば与えられます。  
  主の御言葉を信じて歩めば、全ての必要は満たされます。疑うことな  
マルコ6:6b-13 く、主を信じて歩み続けましょう。  
  ヘロデ王は、体裁を保つため、娘の言うとおり、ヨハネの首をはねま  
マルコ6:14-29 した。信仰の確信は貫きましょう。  
  人は無から有を作り出すことは出来ませんが、主なる神様であるイエ  
マルコ6:30-44 ス様には可能です。主は私たちの全ての必要を満たして下さいます。  
  主の支配は、自然界にも及びます。つまり自然の秩序は、主なる神様  
マルコ6:45-52 によって示されたものです。主の御業を受け入れたいものです。  
  信じる者は、適えられます。私たちは祈りを通して、主なる神様に求  
マルコ6:53-56 めることが出来ます。信じて祈りましょう。  
  罪の汚れは、食事によって与えられるものではなく、私たち自身の内  
マルコ7:1-23 にある罪が、態度と言葉と心に出てくるのです。  
  女は自らが異邦人であること(子犬)を受け入れ、なおも主を信じて、  
マルコ7:24-30 求め続けました。自らの罪を受け入れ、主を求め続けていきましょう。  
  主がお与え下さる恵みは黙っておられないほどの喜びに満ちたもので  
マルコ7:31-37 す。あなたにとって主イエスの救いが喜びとなっているでしょうか?  
  主は私たちを養い導いて下さいます。食べることを心配することなく、  
マルコ8:1-10 全てを養い導いて下さる主の栄光を称えて歩みましょう。  
  人々は神様がいることの証拠を求めます。主は御言葉の聖書において  
マルコ8:11-21 ご自身を証ししています。見ないで信じる者は幸いです。  
  癒しは段階的に行われました。私たちの信仰にも段階があります。一  
マルコ8:22-26 度に全てをしることは出来ません。忍耐して主を追い求めましょう。  
  主イエス・キリストは、私たちの救い主です。主イエスの十字架と死  
マルコ8:27-30 と復活を覚えつつ、感謝して、主を告白し、従いましょう。  
  キリストは私たちの救いのために十字架の道を歩んで下さいました。  
マルコ8:31-9:1 私たちは自らの罪を悔い改めて、主に従うことが求められています。  
  主イエスの栄光の姿が示されます。主イエスは、父なる神様の愛する  
マルコ9:2-13 御子であり、神の民を救いに導かれるために十字架の道を歩まれます。  
  「できれば」との疑いを持った信仰ではなく、全てを主に委ね信じま  
マルコ9:14-29 しょう。信じて祈る者には、何でも与えられます(マタイ21:22)。  
  「人の子は、人々の手に引き渡され、殺され」ます。これは人々の策  
マルコ9:30-32 略によるものですが、なおも主の贖いの計画が成就するよう働きます。  
  この世における支配や権威は、神の国で適用されることはありません。  
マルコ9:33-37 この世の権威を求めるのではなく、主の栄光を求めていきましょう。  
  意見が異なってもキリストを証しする者はキリスト者です。教派の違  
マルコ9:38-41 いによって批判し合うことなく、互いに受け入れ合う必要があります。  
  私たちの周囲には多くの罪の誘惑があります。それらを一つ一つ取り  
マルコ9:42-50 除くことにより、主の栄光を求めて歩むことが出来ます。  
  離婚が認められるのは、相手の姦淫と、故意の遺棄(ウ信仰告白24:6、  
マルコ10:1-12 Tコリ7:15)のみです。結婚は主との契約であり、重要です。  
  主は人間的な事柄を引きずりつつ損得勘定で主に従うことを戒めてお  
マルコ10:13-16 られます。無条件に神の愛を受け入れ、主に従って歩みましょう。  
  十戒を守るとは、文言通り守ることではなく、そこに心が伴っている  
マルコ10:17-22 かが問われます。表面的にではなく、全身全霊主に従うことです。  
  富はこの世における生活では不可欠です。しかし神の国を求めるには  
マルコ10:23-31 必要ありません。神の国に必要なことを考えつつ、富も用いましょう。  
  主イエスの三度目の十字架の予告です。重要なことは三度繰り返され  
マルコ10:32-34 ます。主が三度繰り返して予告された事実を受け止めましょう。  
  地上における権威や地位も、神の国では不要です。主が定められるこ  
マルコ10:35-45 とに対して問い求めず、主の救いの感謝の生活を追い求めましょう。  
  盲人は疑うことなく、主イエスを受け入れ信じました。信仰とは主の  
マルコ10:46-52 御言葉を無条件に受け入れ、罪の赦しと救いを信じることです。  
  主イエスが地上の王として都エルサレムに迎えられます。主イエスは  
マルコ11:1-11 王の王・主の主です。全ての民が主にひれ伏さなければなりません。  
  実りへの期待を持たせつつ、実りとしての信仰を有しないイスラエル  
マルコ11:12-14 には、神様の裁きが宣言されます。  
  信じて祈る時、主は全て適えて下さいます。主の御力を疑い、信じな  
マルコ11:15-26 ければ、自らの罪が暴かれ、それ故に裁きにあいます。  
  祭司長たちは、主イエスを試しました。しかし本当に試されているの  
マルコ11:27-33 は、私たち自身の信仰です。イエス様が主であるのか、ないのかが..  
  イスラエルは預言者を殺し、ついに御子イエス・キリストを十字架に  
マルコ12:1-12 て殺しました。しかし救いは十字架によって成し遂げられます。  
  私たちは主の支配下にあります。主にも、また主がお立て下さった権  
マルコ12:13-17 威にも従うことが求められています。  
  復活の世界は、新しい秩序のうちに成り立ち、人は御使いのような霊  
マルコ12:18-27 的な存在になります。そこには地上の結婚関係はありません。  
  十戒の要約です。第一の掟が第一の板(第一戒〜第四戒)、第二の掟が  
マルコ12:28-34 第二の板(第五戒〜第十戒)に相当します。  
  メシアはダビデの子孫として誕生します(イザ9:6‐7)。しかしキリス  
マルコ12:35-37 ト(メシア)は、ダビデの主であり、私たちの主でもあります。  
  人は、見せかけと権威によって他人を判断するかも知れません。しか  
マルコ12:38-40 し主は私たちの行動・発言・心の全てをご存じです。  
  献金は金額ではなくその心が問われます。救いの感謝の思いと、全て  
マルコ12:41-44 を主に委ねる信仰が表れます。  
  主は6日間で天地万物を創造されました。どれだけ立派な建物でも、  
マルコ13:1-2 主の御前には恒久ではありません。  
  偽教師、戦争、地震、飢饉は、終末(新約)の時代にはあります。どの  
マルコ13:3-13 様な状況にあっても、主に委ね、聖霊に満たされましょう。  
  終末の時代(現在)、苦難は絶えません。しかし偽メシアや偽預言者に  
マルコ13:14-23 惑わされず、御言葉に示された主に寄り頼みましょう。  
  「それらの日」とは、キリストの再臨と最後の審判、そして神の国が  
マルコ13:24-27 完成する時です。その日には、キリスト者は神の国に集められます。  
  終末の日は必ず来ます。天地は滅びても、主の御言葉は滅びることが  
マルコ13:28-31 ありません。朽ちるものではなく、朽ちないものを求め続けましょう。  
  終末の日は、いつ来るのか分かりません(32)。だからこそ「いつ来る」  
マルコ13:32-37 と言った予言に惑わされることなく、常に備えていましょう。  
  祭司長たちが恐れていたのは民衆です。しかし私たちが畏れなければ  
マルコ14:1-2 ならないのは、民や為政者ではなく、主なる神様です。  
  300デナリオン(年収に相当)の香油。主イエスは油注がれた者として、  
マルコ14:3-9 臭いを漂わせつつ、十字架に架けられていきます。  
  イスカリオテのユダは、目の前の欲に目がくらみました。私たちが求  
マルコ14:10-11 めるのは、目の前のものではなく、霊的で永遠のものです。  
  「裏切り者がいる」ことに対して、弟子たちは互いに「まさかわたし  
マルコ14:12-21 では」と思います。私たちの信仰は弱いです。主に寄り頼みましょう。  
  25節は、主イエスの復活とやがて神の国で開かれる祝宴(マタ22:1-10,  
マルコ14:22-26 ルカ14:15-24)とを確かな希望として宣言しています。  
  12弟子の全てが、特にペトロは躓き、主イエスの十字架の時、逃げて  
マルコ14:27-31 いきました。躓かない人はいません。だからこそ悔い改めが必要です。  
  「心は燃えても、肉体は弱い」のです。私たちは誰しも弱さがあるか  
マルコ14:32-42 らこそ、自分に頼ることなく神様に全てを委ねることが出来るのです。  
  主イエスは逮捕され、弟子たちは皆逃げます。しかし主イエスは一人  
マルコ14:43-52 になっても、私たちの贖いのため、十字架の道を歩んで下さいました。  
  人は目標を成し遂げるためには、定められた手続きも破り、目標達成  
マルコ14:53-65 のためにことを運びます。主はこの罪をご覧になっています。  
  人は自己保身をするため、すぐ前に約束したことすらも忘れ、果たす  
マルコ14:66-72 ことの出来ない弱さを持っています。主の赦しに感謝しましょう。  
  ピラトは自身の責任を逃れようとしますが、十字架の最終的な責任者  
マルコ15: 1-15 はピラト自身であり、その罪から逃れることは出来ません。  
  人は権力が与えられ状況が許せば、どの様な罪でも犯します。私たち  
マルコ15:16-20 は目の前にいる苦しんでいる者の立場を理解することが求められます。  
  人は犯罪人を侮辱します。私たちは裁かれる者を見下すのではなく、  
マルコ15:21-32 全てを裁く権威を持っておられる主を見上げて歩みましょう。  
  「本当に、この人は神の子だった」この百人隊長の告白こそ、主の御  
マルコ15:33-41 霊によって示された信仰の告白です。主の御霊の働きを求めましょう。  
  議員ヨセフは勇気を出してピラトの所へ行きます。信仰を貫くには、  
マルコ15:42-47 時として、勇気と大胆さが求められます。  
  主イエスの復活は、人間には理解できません。御霊によって真理が示  
マルコ16: 1- 8 され、奇跡を受け入れることが出来るよう、求めていきましょう。  
  主は主イエスの復活の第一証人として、使徒ではなく、七つの悪霊を  
マルコ16: 9-13 持っていたマグダラの女マリアを、お立て下さいました。  
  使徒たちは主イエスの復活を信じませんでした。疑う者ではなく、信  
マルコ16:14-18 じる者、信じて証しするものであることを、主は望んでおられます。  
  主イエスは、天に上げられ、いまも神の右の座に着いておられます。  
マルコ16:19-20 そして再臨の時(最後の審判と神の国の完成)を待っておられます。  
マルコ16章 この箇所は後代の付加と考えられています。しかし朽ちない福音は主  
    結び二 の弟子たちの手によって、全世界に宣べ伝えられます。  
  福音書(聖書全体)は、事実であり実現した事柄です。事実を真実とし  
ルカ 1:1-4 て受け入れ、信じましょう。  
  口や目が閉ざされたり体に不自由が与えられることにより、主の働き  
ルカ 1:5-25 を知り、主のご計画と救いを信じるように導かれます。  
  主はマリアを選びイエス様の母とされました。主がマリアをお用いに  
ルカ 1:26-38 なられ、主が一方的に恵みと祝福をお与え下さったのです。  
  マリアはエリザベトを訪ねることにより、天使の言葉が真実で、主の  
ルカ 1:39-45 恵みと祝福に満たされていることを確認し、信じるものとされます。  
  主を信じた者は、心からの感謝と喜びに溢れ、讃美に溢れ、主を証し  
ルカ 1:46-56 するものとされていきます。  
  ヨハネとは「主は恵み深い」との意味です。主からの御言葉によって  
ルカ 1:57-66 生きることは、家の伝統に勝る恵みと祝福に満たされます。  
  主は先祖を憐れみ聖なる契約を守っていて下さるからこそ御子をお遣  
ルカ 1:67-80 わし下さいました。主は今生きて我々に働かれます。  
  住民登録があったからこそ、主イエスの誕生の時を特定することが出  
ルカ 2: 1- 7 来、御子の誕生の事実を確認することが出来るのです。  
  神様の栄光を称える讃美は、御子の御降誕による己の救いのリアリテ  
ルカ 2: 8-21 ィーが示されてこそ生じます。神の御国を見据えましょう。  
  シメオンとアンナ、主はお立て下さり、御子御降誕の証人として下さ  
ルカ 2:22-40 いました。主の御前に正しく、信仰あつい生活に倣いましょう。  
  主イエスは12歳の少年でありましたが、すでに人々に主の御言葉を語  
ルカ 2:41-52 り、御子の働きを始められる十分な知識と教養を備えておられます。  
  ヨハネは主イエスの道備えをする者としてつかわされます。しかし真  
ルカ 3: 1-20 の救い主は主イエスのみで、ヨハネは一人の罪人に過ぎません。  
  主イエスが洗礼を受けられることにより、聖霊が働き、御父の御声が  
ルカ 3:21-22 聞こえます。三位一体の神は、共に働かれます。  
  主イエスの系図を遡ると、アダム、そして神にまで至ります。主イエ  
ルカ 3:23-38 スが神の子と呼ばれるのは、霊・肉において神の子(孫)だからです。  
  主イエスは誘惑と戦われ、勝利を治められます。私たちを日々襲う誘  
ルカ 4: 1-13  惑に対しても、主の御言葉と御霊に委ねつつそれを乗り越えましょう。  
  主イエスの働きは、御霊の力と働きによって、豊かな働きを行うこと  
ルカ 4:14-15 が出来るのであり、勝利を治めることが出来るのです。  
  聖書が朗読され御霊の働くことにより、人々は主を信じるものとされ  
ルカ 4:16-30 ていきます。しかし人を見て判断すると躓きます。  
  主イエスの言葉による権威と力は、悪霊さえも従わせるものです。主  
ルカ 4:31-37 イエスに勝る権威も力もこの世にはありません。主に従いましょう。  
  主イエスの支配は、私たちの病にも及びます。主の支配と働きを信じ  
ルカ 4:38-41 て、疑うことなく祈り続けましょう。  
  主イエスの宣教により、神の国の福音が告げ知らされています。私た  
ルカ 4:42-44 ちにも、礼拝と伝道により、神の国が露わにされているのです。  
  主は4人を人間を取る漁師として召されます。主は不可能なことを可  
ルカ 5: 1-11 能にされます。私たちは主に召され主を信じるものとされたのです。  
  らい病は、当時、社会的にも排除される病気でした。主の救いは、社  
ルカ 5:12-16 会的弱者にこそ、及びます。  
  主は私たちの考え・思いもご存じです。主を信じることは、何も隠す  
ルカ 5:17-26 ことが出来ません。罪を悔い改め、主の救いを信じましょう。  
  主の救いが必要なのは、自らが罪人であることが示された者でなけれ  
ルカ 5:27-32 ばなりません。  
  ファリサイ的ユダヤ教と、悔い改めで罪人を神の国に招き入れるイエ  
ルカ 5:33-39 スの福音は、相容れないものです。主の福音に耳を傾けましょう。  
  安息日のために私たちがいるのではなく、私たちの救いのために安息  
ルカ 6: 1- 5 日(主の日)が備えられています。主は私たちを愛していて下さいます。  
  安息日に善を行うことは禁じられていません。だからこそ公共的な福  
ルカ 6: 6-11 祉の働きも禁じられていません。  
  主イエスは、父なる神様に祈りを献げた上で、12人の使徒をお選びに  
ルカ 6:12-16 なりました。召しは主の御意志の表れです。  
  平地の説教(6:17-49)(参照:山上の説教マタイ5-7章)です。平地は主  
ルカ 6:17-19 イエスが民との出会いの場で、彼らを教え、癒しをされます。  
  人間の価値観で神の国を計ってはなりません。真の幸いは、神様の救  
ルカ 6:20-26 いに入れられ、神の国の希望を待ち望むことです。  
  敵を愛しなさい。武器を持ちながら、敵や隣人を心から愛することは  
ルカ 6:27-36 出来ません(参照:エフェソ6:10-20)。  
  人の罪や誤りは、裁くのではなく、取り除くことが求められます。な  
ルカ 6:37-42 ぜならあなたの罪も、既に主なる神様から赦されているからです。  
  人は本心を口から発する言葉によって語ってしまいます。つまり主へ  
ルカ 6:43-45 の信仰の成長により、相手に対する言葉が変化してきます。  
  主への信仰を確立するには土台が整えられる必要があります。信仰の  
ルカ 6:46-49 土台とは、御言葉と祈りであり、礼拝に強固にされていきます。  
  しもべは主人に対して絶対服従が求められます。私たちは主なる神様  
ルカ 7: 1-10 のしもべです。主を信じて、主の御声に聞き従いましょう。  
  主は弱さ・悲しみを抱いている者と共におられます。だからこそ私た  
ルカ 7:11-17 ちはどの様なことがあっても嘆くのではなく、主に委ねましょう。  
  主から御言葉が語られながらも、聞き従わず、洗礼を受けないのは罪  
ルカ 7:18-35 です。全ての支配者であられる主に聞き従いましょう。  
  主を信じる私たちに、主なる神様は「あなたの罪は赦された」と宣言  
ルカ 7:36-50 して下さっています。感謝して主の御声を受け入れましょう。  
  主を信じて受け入れた者は、救いの感謝と喜びに満たされ、主のご命  
ルカ 8: 1- 3 令に聞き従うものとなり、宣教を始めました。  
  すでにキリストを受け入れた私たちは良い土地に落ちた種で喩えられ  
ルカ 8: 4-15 ています。主の御言葉を聞き、よく守り、忍耐して実を結びましょう。  
  私たちは既に救いという光を頂いています。主を信じていることを公  
ルカ 8:16-18 に言い表していくことこそ、光を携え持つ歩みです。  
  私たちは肉の家族を疎かにしてはなりません。しかしそれ以上に主が  
ルカ 8:19-21 お語り下さる神の御言葉である聖書に聞き従わなければなりません。  
  主は自然を創造されたお方であり、今も支配されています。だからこ  
ルカ 8:22-25 そ、主イエスが自然に対して命じられたことを自然も従います。  
  主の御支配は霊の世界にも及びます。だからこそ悪霊も主イエスの言  
ルカ 8:26-39 葉に従います。私たちの魂の救いも、主の働きによるのです。  
  主の御支配は、自然・霊、そして命に至ります。命を支配しておられ  
ルカ 8:40-56 る主だからこそ、私たちは救いと永遠の生命を信じることが出来ます。  
  12人は「悪霊に打ち勝ち、病気をいやす力と権能」が授けられ、使徒  
ルカ 9: 1- 6 とされます。しかし彼らの働きは、主イエスの昇天後となります。  
  主イエスの働きは、自らを最大の権力者と思っている者にとっては、  
ルカ 9: 7- 9 不気味であり、恐ろしい存在です。  
  主は、私たちに今日の糧をお与え下さいます。自ら貪り求めるのでは  
ルカ 9:10-17 なく、主がお与え下さるものを謙虚に受け入れるものでありましょう。  
  本当に主イエスの力が示されると「神からのメシアです」としか答え  
ルカ 9:18-20 ようがありません。しかしそのためには聖霊の働きが必要です。  
  救いは、主イエスの十字架によって、主から与えられるのであって、  
ルカ 9:21-27 自らの力で勝ち取ることが出来るものではありません。  
  主イエスがエルサレムで遂げられる最期(31)は、エクソドス「旅立ち」  
ルカ 9:28-36 であり、主イエスが第二の出エジプトを成し遂げて下さるのです。  
  主イエスに比べ、弟子たちは無力です。誰も主によって力が与えられ  
ルカ 9:37-43a なければ、力を発揮することは出来ません。  
  主イエスの十字架は奥義であり、弟子たちには隠されていました。真  
ルカ 9:43b-45 理は主によって明らかにされなければ、誰も理解出来ません。  
  弟子たちは自らの無力さが示されてもなお(9:40)、自らの力を信じ、  
ルカ 9:46-48 また権威を求めていました。主の力にこそ委ねましょう。  
  信仰は主イエスを信じる者を広く受け入れることにあります。教派が  
ルカ 9:49-50 違っても、主イエスを神と信じる者は主にある兄弟姉妹です。  
  主イエスはエルサレムに向かう決意を固められます。主イエスの決意  
ルカ 9:51-56 は、既に十字架に向かっているのです。  
  主イエスに従うには、覚悟がいります。そのために、私たちは世的な  
ルカ 9:57-62 様々なしがらみから解き放たれる必要があります。  
  主は御言葉を宣べ伝えるために弟子たちを派遣します。神様の選びに  
ルカ10: 1-12 ある平和の子は、御言葉が語られれば、御霊が働き、聞き従います。  
  悔い改めれば救われます。しかし罪を悔い改めなければ、自らの罪の  
ルカ10:13-16 故に、主に裁かれ、陰府に落とされるのです。  
  宣教の広がりは主による権威が授けられた結果です。いまだ集められ  
ルカ10:17-20 ていない神の民が教会に集められますよう、主に祈りましょう。  
  知恵や知識があれば信じることが出来るのではありません。御言葉と  
ルカ10:21-24 共に主の御霊の働きによって信じることが出来るのです。  
  隣人に区別はありません。キリストによる愛を受けた者は、キリスト  
ルカ10:25-37 の平和の実現のため、愛の業に励みます。  
  主が第一にお求めになることは、御言葉に聞くことです。その上で、  
ルカ10:38-42 主の御言葉に聞き従い、愛の業、良く業がなされていきます。  
  主は私たちに必要を祈り求めることをお許し下さっています。主は私  
ルカ11: 1-13 たちのお父さんとして、私たちの本当の必要を満たして下さいます。  
  悪霊を支配しているのは主なる神様です(ヨブ記1-2章)。だからこそど  
ルカ11:14-23 の様な悪霊に対しても、主は勝利を治めることが出来るお方です。  
  悪霊の住み着く場所を残しておいてはなりません。御言葉を聴き、主  
ルカ11:24-26 の御言葉が私たちの全てを支配しておれば、悪霊は立ち去ります。  
  私たちはキリストを信じるのですが、キリストによる御業と語られる  
ルカ11:27-28 御言葉による真理を受け入れることが必要です。  
  ヨナが魚の中から生還したように、キリストは十字架の死から復活を  
ルカ11:29-32 遂げられ、私たちに罪の赦しと救いをお与え下さいます。  
  私たちが御言葉に聞き従うことにより、私たちの生活を通して、光で  
ルカ11:33-36 あるキリストが証しされていきます。  
  ファリサイ人、律法学者の罪として、主イエスが指摘しておられるの  
ルカ11:37-54 は、外面を取り繕い、内面の主への信仰をないがしろにすることです。  
  偽善とは良き行いを行っても、それが相手の立場に立たず、自らの徳、  
ルカ12: 1- 3 自らの益を求めて行う事です。全ては主の御前に明らかになります。  
  迫害で殺されたとしても主による救いがあります。しかし主による救  
ルカ12: 4- 7 いを求めなければ、罪の刑罰による永遠の死(地獄)が待っています。  
  信仰とは主に委ねることです。全てを主に委ね、主による救いに感謝  
ルカ12: 8-12 と喜びをもって、それを証しするものとされることです。  
  地上での富は、天国に持って行くことは出来ません。地上で主によっ  
ルカ12:13-21 て与えられたものは、地上で必要に応じて用いることが求められます。  
  主は与え、主は取られます。主から与えられたものを、必要を求めて  
ルカ12:22-34 いる人に分け与えることにより、さらに主が証しされます。  
  主イエスは再臨され神の国が完成します。その時がいつ来てもよいよ  
ルカ12:35-48 うに準備と備えをしておくことが求められています。  
  新約の時代は分裂を避けて通ることが出来ません。しかし主イエスは  
ルカ12:49-53 平和をもたらすために来られたのであり、神の国において実現します。  
  私たちは天気を判断するように、主が私たちに今の時代、何を求めて  
ルカ12:54-56 おられるかを適切に判断する力を御言葉から身につけねばなりません。  
  私たちは主によって既に和解がもたらされたのです。私たちも今、敵  
ルカ12:57-59 対する人とも、和解することが求められています。  
  私たちはニュースの犯罪を見て、犯人を見下していませんか? あな  
ルカ13: 1- 5 たこそ今、主から罪の悔い改めを求められているのです。  
  主は今、忍耐して、私たちの罪の悔い改めを待っていて下さっていま  
ルカ13: 6- 9 す。主の忍耐に感謝して、改めて罪の悔い改めを行いましょう。  
  安息日(主の日)は、私たちのためにあります。主を礼拝し主からの恵  
ルカ13:10-17 実に与ることにより、私たちは主によって生かされているのです。  
  神の国は、非常に大きく成長します。つまり地上の教会もまた神の国  
ルカ13:18-21 に繋がっているのであり、必ず成長して行くのです。  
  多くの人びとが行っているから正しいのではありません。主を信じて  
ルカ13:22-30 救われる者は少ないかも知れません。しかし主を信じて歩みましょう。  
  主イエスは、エルサレムにおいて殺されることを知りながらも、逃げ  
ルカ13:31-35 ることはありません。主イエスの御業こそ私たちの救いのためです。  
  安息日は、主が聖別し、礼拝する日として定めて下さり、厳守するこ  
ルカ14: 1- 6 とが求められます。しかし私たちは主によって生かされているのです。  
  私たちは自らの地位・行いを誇ることなく、主により生かされている  
ルカ14: 7-14 者として、謙遜になり、主と人びとに仕えていかなければなりません。  
  神の国での宴会、これはキリストの再臨に伴う神の国の到来の時です。  
ルカ14:15-24 私たちはいつお呼びがかかってもすぐに生ける準備と備えが必要です。  
  私たちは、自分の十字架(罪の自覚と悔い改め)を背負う必要があり  
ルカ14:25-33 ます。これなくして真の救いを受け入れることは出来ません。  
  キリストの弟子としての塩気(=信仰)を失えば、世にある様々な誘  
ルカ14:34-35 惑に遭い、闘うことも主による勝利を得ることも出来なくなります。  
  主は私たちを愛して下さっています。そして最後の一人が救われるま  
ルカ15: 1- 7 で、待っていて下さっています。だからこそ私たちは伝道するのです。  
  神様によって一人が救われることは、この世の教会においても喜びで  
ルカ15: 8-10 すが、神の国においても大きな喜びがあるのです。  
  弟:父の愛を否定し出て行きます。全てを失い始めて父の愛を気付き  
ルカ15:11-32 ます。兄:いつも一緒にいる父の愛に気付きません。神は愛です。  
  この世のことに関して忠実でなければ、信仰生活や神の国においても  
ルカ16: 1-13 忠実なことを行うことは出来ません。  
  主は私たちの行い・言葉のみならず心の中もご存じです。表面ばかり  
ルカ16:14-18 取り繕っても、内実が伴わないことを、主はご存じです。  
  神様は御言葉を通してお語り下さっています。御言葉による悔い改め  
ルカ16:19-31 と信仰が与えられなければ、死後には救いはありません。  
  主は罪も失敗も、繰り返し赦して下さいます。主を信じることは、救  
ルカ17: 1-10 いへの感謝と喜びによる信仰と奉仕が伴います。  
  主の癒しと恵みは、多くの人々にもたらされます。しかし主の御業を  
ルカ17:11-19 受け入れ、主を信じる者は少ないのです。  
  最後の審判が行われる主の日は、私たちには示されていません。世の  
ルカ17:20-37 終わりを語り恐怖を訴えるのは偽りです。常に備えていましょう。  
  夜昼構うことなく祈り求めるように、主はお求めになっています。苦  
ルカ18: 1- 8 しみも悲しみも喜びも感謝も、主に祈ることが出来るのは幸いです。  
  主の御前に立つ時、誰一人として正義を語ることは出来ません。主の  
ルカ18: 9-14 御前にへりくだり、悔い改め、主による罪の赦しを求めましょう。  
  当時、子供は無価値な者とされていました。しかし主は彼らを受け入  
ルカ18:15-17 れて下さり祝福をお与え下さったのです。無邪気に主を信じましょう。  
  主の求めておられることは、律法に記されていることを文字通り行う  
ルカ18:18-30 ことではなく、心の中から律法に従おうとすることです。  
  主は十字架について3度目の予告をされました。3度とは、重要な事  
ルカ18:31-34 柄であることを意味しています。  
  盲人は、心の目でイエス様を救い主と信じることが出来たのです。目  
ルカ18:35-43 に映るものではなく、聖書により心に語られる主を信じましょう。  
  罪人であるザアカイを、主イエスは救って下さいました。それに従い、  
ルカ19: 1-10 ザアカイは信仰を表し、罪の悔い改めを行いました(ウ信仰告白15:5)。  
  主は私たちに賜物をお与え下さっています。私たちは、主によって与  
ルカ19:11-27 えられたその賜物を用いて主に仕えることが求められています。  
  子ろばに乗って御子がエルサレムに入城するのはゼカリヤ9:9の成就で  
ルカ19:28-44 す。一方でメシアを拒絶する民に対する主の嘆きが語られます。  
  ユダヤ人たちは宗教的な働きをせずイエスを殺そうと狙っていますが、  
ルカ19:45-48 大祭司イエス・キリストは、人々に教え、主の働きに仕えています。  
  祭司長たちはヨハネが神からの預言者であるか、人からのものかの判  
ルカ20: 1- 8 断を行うことから逃げました。ヨハネもイエスも神からの権威です。  
  ユダヤ人たちは預言者を殺して行き、そして神の御子イエス・キリス  
ルカ20: 9-19 トを十字架につかせます。救いは御子を受け入れる者にあります。  
  キリスト者は主に仕えることが第一です。為政者に仕え、税金を納め  
ルカ20:20-26 るのは、主が為政者を立て、神に代わって世を治めているからです。  
  復活は個人個人に起こります。夫婦・親子・兄弟といった繋がりはな  
ルカ20:27-40 くなりますが、復活の主イエスのように、互いに理解しあえます。  
  主イエスは詩110:1を引用し、自らが真の救い主メシアであると宣言さ  
ルカ20:41-44 れたのです。つまり主イエスはダビデに劣る者ではありません。  
  私たちは人に認められることよりも、主を礼拝し、主に仕え、主に喜  
ルカ20:45-47 んで頂くことが何よりも求められているのです。  
  献金は金額ではありません。主がお与え下さったことの感謝のしるし  
ルカ21: 1- 4 です。献げることにより足らない分を主に委ねて歩むことが出来ます。  
  終末の様々な現象があります。しかし主は私たちと共にいて下さり、  
ルカ21: 5-19 永遠の生命の約束を成し遂げて下さいます。  
  神殿の崩壊とエルサレムの滅亡はキリスト者の迫害を預言したもので  
ルカ21:20-24 す。迫害があっても主はお守り下さいます(21:18)。  
  終末の日の徴です。新約の時代は終末の時代です。自然災害は起こる  
ルカ21:25-28 に決まっています。再臨の時を望みを持って待ち続けましょう。  
  主のご計画は定められた通り行われます。その時その時の現象に右往  
ルカ21:29-38 左往することなく、主の御言葉に聞き従い救いに与りましょう。  
  主はイスカリオテのユダにサタンが入ることを許容されます。ユダの  
ルカ22: 1- 6 金に欲がくらみ、救い主を売り渡す罪を犯すこととなります。  
  主は最後の晩餐のためにご計画されており、すぐに晩餐を始めること  
ルカ22: 7-13 が出来るように、全てを整えていて下さいました。  
  主の晩餐です。「わたしの記念としてこのように行いなさい」この命令  
ルカ22:14-23 に従い、主の晩餐は、新約の教会において引き継がれています。  
  キリスト者は主の僕(しもべ)です。自らが主人になることなく、主  
ルカ22:24-30 と人々に仕えることが求められています。  
  シモン・ペトロは恐怖のあまりに主イエスを知らないと語ります。し  
ルカ22:31-33 かし主イエスは信仰が無くならないようにお守り下さいました。  
  迫害の時代、キリスト者も財布と袋と剣を持つことが求められます。  
ルカ22:35-38 しかし私たちが持つべき剣は神の武具、霊の剣です(エフェソ6:10-18)。  
  私たちは肉体的に弱く、信仰も薄い者です。しかし主は、私たちに絶  
ルカ22:39-46 えず祈り続け、主の御力に委ねることを求めておられます。  
  主はユダの裏切りをも用いて、私たちの罪の贖いを成し遂げて下さろ  
ルカ22:47- 53 うとして下さっています。主の計り知れない愛に感謝します。  
  ペトロはおびえて主イエスを3度否定しました。しかし主はその全て  
ルカ22:54-62 をご存じであり、また打ち勝つ信仰をお与え下さいます。  
  権力を握ると人は強がります。しかし真実の力を持つお方は、死に打  
ルカ22:63-71 ち勝つ主イエスだけです。真の権力者を敬いましょう。  
  ピラトもヘロデもイエスを裁くことから逃れようとします。これは自  
ルカ23: 1-12 らの損得勘定が働いているためです。主の御前で真実を貫きましょう。  
  ピラトは真理ではなく人々の要求を受け入れ、主イエスを十字架の死  
ルカ23:11-25 に架ける決定を下します。人の目ではなく神様の目を畏れましょう。  
  主イエスは、極悪の犯罪者であっても、主イエスを救い主として信じ  
ルカ23:26-43 る者に救いを宣言し、天国に入れられることを約束して下さいます。  
  主イエスの真理は、異邦人としての百人隊長であっても、信じること  
ルカ23:44-49 が出来ます。主イエスを受け入れ、信じることが求められています。  
  ユダヤ人であっても主イエスを信じ、十字架に反対する人はいたので  
ルカ23:50-56 す。信仰は身分や立場ではなく、主への信仰が問われているのです。  
  婦人たちは天使によって語られた主イエスの復活を受け入れました。  
ルカ24: 1-12 奇跡は信仰によらなければ受け入れ、信じることは出来ません。  
  御言葉が語られ、聖霊が働く所に信仰が生じるのであり、いくら真理  
ルカ24:13-35 の御言葉が語られても御霊の働きがなければ信じることは出来ません。  
  私たちの心の目を開いて下さるのは、主イエスであり聖霊の働きです。  
ルカ24:36-49 聖霊がなければ、見ても真理は見えず、聞いても聞こえないのです。  
  主イエスの十字架の時に逃げていた弟子たちが、神をほめたたえるも  
ルカ24:50-53 のとされました。主の御霊は私たちに働き続けて下さいます。  
  言は神様そのものであり、天地創造の働きも行われました。この言こ  
ヨハネ 1: 1- 5 そ神の御子イエス・キリストです(ウ信仰告白8:2,4:1、大教理11,36)。  
  言たるキリストを受け入れ信じることにより神の子となる資格が与え  
ヨハネ 1: 6-13 られ、神様からの全ての恵みと祝福に与ることができるのです(12)。  
  私たちはキリストを見ることにより、神を知り、父なる神様の恵みと  
ヨハネ 1:14-18 真理を初めて知ることが出来るのです。  
  洗礼者ヨハネは、キリストを指し示すために(23、イザヤ40:3)、世に  
ヨハネ 1:19-28 遣わされました。  
  主イエスは、世の罪を取り除く神の小羊であり(29)、聖霊によって洗  
ヨハネ 1:29-34 礼を授ける(33)、神の子(34)です。  
  シモン・ペトロを弟子として「ケファ(岩)」と名付けます。彼こそが  
ヨハネ 1:35-42 主イエスの一番弟子となり、新約の教会の礎を築きます。  
  主はすべてをご存じです。主の奇跡を信じるのではなく、主が全知全  
ヨハネ1:43-51 能であられ、人を救いに導く力を備えた方であることを畏れましょう。  
  主イエスの行われた最初の奇跡です。「イエスの時」とは受難・復活・  
ヨハネ 2: 1-12 栄化の時であり、現在はすでにその時が到来しています。  
  主イエスは神の宮としての御自身の死と復活についてお語りになられ  
ヨハネ 2:13-22 ました。主イエスの宣教は最初から十字架を見据えていたのです。  
  表面的に信仰を告白することと、心から信仰を告白することとは異な  
ヨハネ 2:23-25 ります。真の信仰を告白すると、主イエスの言葉に聞き従います。  
  真の信仰は、生まれ変わる(新生)がなければ生じてきません。真の信  
ヨハネ 3: 1-15 仰告白を行うことにより、かつての生き方を捨て、主に従います。  
  主イエスを信じ、御言葉に聞き従う者は救われます。しかし光である  
ヨハネ 3:16-21 主を信じない者は、主による裁きが与えられます。  
  洗礼者ヨハネは、自分がキリストではなく、キリストの先駆けとして  
ヨハネ 3:22-30 遣わされたことを再度語ります(1:19-28)。  
  主イエスの語られる言葉は、神の言葉です。御子である主イエスの言  
ヨハネ 3:31-36 葉を受け入れ信じる者は、永遠の生命が既に与えられています。  
  主イエスはサマリアの女の全てを知っておられました。そして女は主  
ヨハネ 4: 1-20 イエスの言葉に聞き従い、主を礼拝する者へとされていきます。  
  私たちは、霊と真理を持って父なる神様を礼拝しなければなりません。  
ヨハネ 4:21-26 私たちの救いのためにキリストは仲保者として取りなして下さいます。  
  サマリアの人たちは、主イエスの語られた言葉を聞いて信じます。主  
ヨハネ 4:27-42 イエスこそ、唯一、真の救い主です。  
  主には権威があります。見なければ信じない者ではなく、主の御言葉  
ヨハネ 4:43-54 を聞き、それを受け入れ、信じる者となりましょう。  
  主イエスは、病を癒す力を持っておられます。安息日は、主が人を救  
ヨハネ 5: 1-18 い生かして下さるために、主を礼拝する日と定められたのです。  
  御子であられるイエス様を受け入れ信じる者は、父なる神様をも信じ  
ヨハネ 5:19-30 ているのであり、父なる神様による救いが与えられます。  
  イエス様が主であることの証しは、ヨハネ・主イエス自身の御業・父  
ヨハネ 5:31-47 なる神様の証言(モーセ:旧約聖書)によってなされています。  
  主イエスは僅かなパンと魚で男だけで5000人の人々を養ってください  
ヨハネ 6: 1-15 ました。主は私たちに必要な養いをして下さいます。信じましょう。  
  主イエスは全てを支配される方だからこそ、超自然現象と呼ばれるよ  
ヨハネ 6:16-21 うな奇跡をも行うことが可能なのです。  
  主イエスを信じる(29)ことにより、永遠の命(27)が与えられます。命  
ヨハネ 6:22-40 のパンである主イエスの御言葉に聞き続けましょう。  
  主イエスを信じる者は既に永遠の命を得ています(47)。だからこそそ  
ヨハネ 6:41-59 の人は終わりの日に復活の体が与えられるのです(54)。  
  主イエスは、最初から信じる者を知っておられます(64)。私たちが主  
ヨハネ6:60-71  を信じることは、すでに主によって選ばれているからこそです。  
  主イエスの時、それは捕らえられ、裁判を受け、十字架の苦しみと死、  
ヨハネ 7: 1- 9 そして死から三日日の朝に復活する時です。その時はまだです。  
  創造主であり購い主である神様を信じる者は、神様の栄光を求めて生  
ヨハネ 7:10-24 きることこそ、何よりの喜びであり祝福となります。  
  多くの人々にとってイエス様がメシアであることは隠されています。  
ヨハネ 7:25-31 しかし主が召して下さる人々は、それを受け入れることが出来ます。  
  主イエスは行かれる所は、父なる神様の右の座です。イエス様を救い  
ヨハネ 7:32-36 主として信じる者は、神の国に行け、主イエスを見ることが出来ます。  
  イエス様を私たちの救い主と信じることにより、枯れることのない生  
ヨハネ 7:27-39 きた命の水が与えられます。それは御言葉と精励により与えられます。  
  祭司長、ファリサイ人は旧約の一部から判断しイエス様を拒否します。  
ヨハネ 7:40-52 旧約全体に聞き従おうとするニコデモは彼らの意見を受け入れません。  
  誰も罪を犯したことのない人はいません。小さな罪でもその刑罰は死  
ヨハネ7:53-8:11 です。罪は主イエスの十字架の贖いを信じることにより赦されます。  
  主イエスは、私たちを神の国(天国)に導いて下さる唯一の世の光です。  
ヨハネ 8:12- 20 主イエスの十字架の御業を信じ、主の御言葉に聞き従いましょう。  
  私たちは主イエスを信じなければ、自らの罪の故に滅びます。しかし  
ヨハネ 8:21-30 主イエスを信じることにより、主イエスと共に天に揚げられます。  
  主イエスを信じなければ罪の奴隷のままです。主イエスを信じるから  
ヨハネ 8:31-38 こそ、本当の自由な意志が与えられるのです(ウ信仰告白9:4)。  
  主なる神様が主イエスをこの世にお遣わし下さいました。だからこそ  
ヨハネ 8:39-47 私たちは主イエスの真理の言葉に聞き従うことが出来るのです。  
  主の栄光を求め、主の言葉を守れば、主は決して死なない永遠の生命  
ヨハネ 8:48-59 をお与え下さいます(51)。肉体は死んでも霊は生き、復活があります。  
  身体に障害を持つ者も霊的には健康であり、主は共にいて下さり、主  
ヨハネ 9: 1-12 の栄光が示されます。あなたは霊的な障害者ではありませんか?  
  主イエスじゃ盲人を癒す力は、主から与えられたものです。主がお許  
ヨハネ 9:13-34 しにならなければ誰も奇跡を行うことは出来ません。  
  自らの罪を認めることが出来ないのは、霊的な盲目にあるからです。  
ヨハネ 9:35-41 罪を認め悔い改め主を信じることにより霊的な目が開けられるのです。  
  主イエスは、全ての神の民に救いを呼びかけて下さっています。だか  
ヨハネ10: 1- 6 らこそ今まだ教会に来ていない神の民も主の御声に集められます。  
  主イエスは一匹の羊を見つけるために探しておられます。すでに囲い  
ヨハネ10: 7-21 の中に入れられた私たちは、今なお外にいる人を導く努めがあります。  
  主を信じる者は、永遠の命が与えられます(28)。それは肉体の死を遂  
ヨハネ10:22-42 げても、主イエスの再臨の日に復活し、神の国に入れられることです。  
  人間の力では、人の死を受け入れるしかありません。誰一人として、  
ヨハネ11: 1-16 死人が復活するなど考えていないからです。  
  主イエスは、神様御自身であり、人間には不可能と思われる人を復活  
ヨハネ11:17-27 させる力を有しておられます。主を信じる者は死んでも生きるのです。  
  主イエスの御業は、周囲にいる人々が、主の御力を受け入れ信じるた  
ヨハネ11:28-44 めに行われました。私たちは見ないで信じるものでありましょう。  
  大祭司カイアファの言葉(49-52)は、主が彼を通して預言された言葉で  
ヨハネ11:45-57 あり、主イエスの十字架の死により、私たちの救いも成就したのです。  
  人は自分の罪は覆い隠そうとするが、人の過ちは明らかにして厳しく  
ヨハネ12: 1- 8 裁こうとする弱さを持っています。罪の裁きは主の御業です。  
  主イエスを否定する者は、主を恐れるが故に、主の証人の存在すら嫌  
ヨハネ12: 9-11 います。キリスト教に対する迫害はこうした主への恐れから生じます。  
  一見みすぼらしく見える子ろばにおけるエルサレム入城も、人々の賞  
ヨハネ12:12-19 賛を受け、ファリサイ派の人々も手出しすることが出来ませんでした。  
  主イエスの十字架に先立ち、ユダヤ人たちは離れていきますが、永遠  
ヨハネ12:20-26 の生命に与る異邦人たちが集められていきます。  
  主イエスは十字架の御業により私たちに栄光を現して下さいます。主  
ヨハネ12:27-36 がお示し下さる光を求めて歩み続けましょう。  
  人は権力を追われるのを恐れ、真理をも否定することに同意します。  
ヨハネ12:36-43 真に畏れなければならないのは、権力者ではなく主なる神様です。  
  主イエスを信じることは父なる神様を信じることであり、父なる神様  
ヨハネ12:44-50 は私たちに永遠の生命をお与え下さいます。  
  主イエスは自ら十字架に架かられるために歩まれます。一回限りの足  
ヨハネ13: 1-11 の洗いは、洗礼における清めにつながることです。  
  キリストによる罪の赦しが与えられ、キリストが私たちに生きる手本  
ヨハネ13:12-20 を見せて下さっているからこそ、キリストに倣った歩みをしましょう。  
  ユダの中にサタンが入り、主イエスを十字架に架けるために動きます。  
ヨハネ13:21-30 主はそうした罪をも主の御業を成し遂げるために用いられます。  
  互いに愛し合うこと、これはキリストに愛が私たちにもたらされてい  
ヨハネ13:31-35 るから求められます。味方だけではなく敵をも愛する者でいましょう。  
  主はペトロの離反も、全てをご存じです。主はこうした人の弱さをも  
ヨハネ13:36-38 受け入れて下さり、この罪のためにも十字架の御業が有効なのです。  
  主イエスを信じること、これこそが父なる神様に繋がることであり、  
ヨハネ14: 1-14 永遠の生命が約束された神の国に繋がる生きる道です。  
  キリストに代わり、真理の霊である聖霊が与えられます。聖霊が私た  
ヨハネ14:15-31 ちと共にいて下さるからこそ、私たちは救いの確信が与えられます。  
  ぶどうの実であるキリスト者は、ぶどうの木であるキリストに繋がっ  
ヨハネ15: 1-10 ていることにより、霊的な養いが与えられ、神の愛に留まれます。  
  主が私たちをお選び下さったことに感謝します。そして今なおこの地  
ヨハネ15:11-17 に主のお選び下さった神の民がいます。出て行き実を結びましょう。  
  世は、主と主を信じる私たちを憎みます。日本に住む私たちも、世と  
ヨハネ15:18-25 融合することは出来ません。世にではなく、主に倣いましょう。  
  すでに私たちには聖霊が与えられています。御言葉と聖霊を通して、  
ヨハネ15:26-27 私たちの信仰は養われ、さらに福音を伝える者とされるのです。  
  人々が人間的に良しとすることであっても誤りがあります。良き業は、  
ヨハネ16: 1-4a 主の御言葉に聞くことによってなされます(信仰告白16-1)。  
  弁護者である聖霊が私たちにすでに与えられているからこそ、私たち  
ヨハネ16:4b-15 は、御言葉から、罪・義・裁き・世の誤りを知ることが出来るのです。  
  キリストの御名により父なる神様に祈り求めるならば、私たちを神の  
ヨハネ16:16-24 子として下さった神様は、祈りを聞き届け下さいます(大教理180)。  
  私たちは様々な苦難に遭います。しかし主イエスはすでにサタンと死  
ヨハネ16:25-33 に勝利を遂げて下さいました。主を信じて勇気をもって歩みましょう。  
  永遠の命とは、唯一の真の神と御子イエス・キリストを知ることであ  
ヨハネ17: 1- 5 り、信じることです(4)。信じる者は罪が赦され、救われます。  
  主が選び出して下さった者は、キリストの御言葉を聞くことにより、  
ヨハネ17: 6-19 主を受け入れ、信じる者とされます。選びの民は主のものだからです。  
  主を信じる者は、霊的に一つとなることが出来ます。教会は多様な人  
ヨハネ17:20-26 々が集いますが、霊的に一つとなることが求められています。  
  人々は武器を持ち主イエスを捕らえに来ます。しかし主イエスはその  
ヨハネ18: 1-11 全てを知っておられます(4)。人の知恵より全能の主を信じましょう。  
  主イエスはアンナスの所に連れて行かれます。彼はすでに責任ある地  
ヨハネ18:12-14 位にないが実力者でした。裁判は実力者でなく裁判官がなすべきです。  
  権威の前に立たされる恐怖にペトロはおびえ、主イエスの弟子である  
ヨハネ18:15-18 ことを否定しました。権威にではなく主を畏れましょう。  
  人は権威を持つと人の上に立った気分で傲慢になります。しかし人を  
ヨハネ18:19-24 立たせるのは権威ではなく、信仰によらなければなりません。  
  一つ嘘を付くと、それを貫くために嘘を繰り返すこととなります。真  
ヨハネ18:25-27 実を語り、貫くことこそ、主の求めておられる義です。  
  ピラトは主イエスの罪を見いだせませんでした。しかし彼は人々の声  
ヨハネ18:28-40 を無視できませんでした。人の声に従う事なく、真理を貫きましょう。  
  主イエスは、王の王であり、全ての者を従わせる権威を持っておられ  
ヨハネ19: 1-16 ます。しかし私たちの罪の贖いのために、十字架の道を歩まれます。  
  主イエスの十字架。この姿こそ、罪の裁きにあう私たち自身です。主  
ヨハネ19:17-27 イエスは、あなたの身代わりに十字架に架かって下さったのです。  
  主イエスの死により、私たちの罪の贖いが「成し遂げられた」のです。  
ヨハネ19:28-30 主なる神様と主イエスによる救いの御業を信じ、感謝しましょう。  
  主イエスの死は、真の肉体の死です。決して仮死状態であったのでは  
ヨハネ19:31-37 ありません。主イエスの十字架を否定する所に真の信仰はありません。  
  主イエスは墓に入れられ、陰府に下られました(使徒信条)。しかし主  
ヨハネ19:38-42 イエスは罪と死に勝利され、復活を遂げて下さいます。  
  ヨハネともう一人の弟子(ヨハネ)は、主イエスが復活されたもぬけの  
ヨハネ20: 1-10 墓を見て信じます。しかしまだ復活は理解出来ませんでした。  
  マグダラのマリアは、復活の主イエスと出会うことにより信じます。  
ヨハネ20:11-18 人の知恵を超えて働かれる主の御業を信じましょう。  
  人はキリストの十字架が提示され、主による息吹(聖霊)が与えられる  
ヨハネ20:19-23 ことにより、主を信じ、また主を証しする者とされていきます。  
  私たちは十字架と死から復活された主イエスを見ることは出来ません。  
ヨハネ20:24-29 しかし見ないで信じる者は幸いです。  
  主イエスの生涯、主なる神様の御業は、膨大です。しかし私たちが信  
ヨハネ20:30-31 じるために必要な全ての事が、聖書に書き記されています。  
  153匹の魚。当時世界中に153種類の魚がいるとされていました。つま  
ヨハネ21: 1-14 り弟子たちが全世界の人々を獲得する使徒とされたことを語ります。  
  ペトロは主イエスのことを3度も「知らない」と語りました。しかし  
ヨハネ21:15-19 なおも主はペトロを赦し、主の証し人として用いて下さいます。  
  聖書に記された事は真実で、私たちが神様を信じるために必要なこと  
ヨハネ21:20-25 が記されています。それ以外のことは詮索する必要はありません。  
  ルカが記した第二書簡です(参照:ルカ1:1-4)。主イエスは復活後、40  
使徒  1: 1- 5 日にわたし神の国について話しされ、使徒達は訓練されていきました。  
  主イエスは天に上げられます。今、地の果てまで主の言葉を伝えるた  
使徒  1: 6-11 めに、主は私たちを用いて下さるのです。  
  キリスト者は一つとなり祈ることが求められます。教会における祈祷  
使徒  1:12-26 会、そして聖書日課の御言葉と祈りを行うことがその歩みです。  
  聖霊が下ります。今も聖霊は私たちと共にいて下さいます。私たちの  
使徒  2: 1-13 祈りは聖霊を通して主が聞き届けて下さいます。信じて祈りましょう。  
  罪を悔い改め、イエス・キリストの名によって洗礼を受けることによ  
使徒  2:14-42 り、罪の赦しと永遠の命が与えられます。邪悪な時代からの救いです。  
  信者が一つとなることにより、隣人愛により、困っている者、貧しい  
使徒  2:43-47 者へ助けの手が伸ばされます。これが教会の執事的な働きの根源です。  
  私たちは金銀を人に渡すのではなく、主から与えられた救いを人々に  
使徒   3: 1-10 語っていくことが求められています。  
  死者の中から復活されたイエスの名を信じる信仰によって、強められ  
使徒  3:11-26 ます。信じる者は救われるのです。  
  私たちは人前で主を証しすることに対して立ちすくんでしまいます。  
使徒  4: 1-22 しかし主は聖霊を満たし語る言葉を授けて下さいます。  
  私たちは神の御業を信じ、心を一つにして神に祈ることにより、主は  
使徒  4:23-31 聖霊を満たして下さり、主の御業を成し遂げて下さいます。  
  主を信じる者は心も思いも一つにして祈ることが出来ます。そのこと  
使徒  4:32-37 は同時に持っていない者に対して助けの手を伸ばすこととなります。  
  人はだますことが出来ても、神を欺くことは出来ません。主は全てを  
使徒  5: 1-11 ご存じです。人を恐れることなく、神を畏れましょう。  
  心を一つにして祈り主の働きを行うことにより、教会は立てられ、そ  
使徒  5:12-16 こに集う者の数は増えていきます。  
  私たちは人の意見に従うよりも、神の御言葉に聞き従わねばなりませ  
使 徒 5:17-42 ん(29)。人の権威は滅びても神の権威は滅びることはありません。  
  執事の選出は霊と知恵に満ちた評判の良い人を選ぶべきです。その結  
使 徒 6: 1- 7 果、牧師の働きは御言葉に集中でき、教会は成長していきます。  
  人前で主を証しする時、自らの口で語ろうとするのではなく、既に与  
使 徒 6: 8-15 えられた知恵を用いつつも、主に委ね主の霊により語れば良いのです。  
  アブラハムは主の言葉を信じて、400年以降も後に与えられる約束を信  
使 徒 7: 1- 8 じました。主を信じるとは、疑わずに希望を持ち続けることです。  
  ヨセフはエジプトに売られましたがここに主の導きがあります。投獄  
使 徒 7: 9-16 もされます。しかし主はヨセフを用いてイスラエルを救われます。  
  主の命令は時として苦難があります。しかし私たちは自らの欲望を満  
使 徒 7:17-43 たすのではなく、主の栄光を追い求める必要があります。  
  イスラエルの罪は、私たちの罪そのものです。聖書で語られている人  
使 徒 7:44-53 々の罪を他人事とせず、自らの心の内に照らして読みましょう。  
  ステファノは殉教しました。しかし彼は地上の生涯を終えても天にお  
使 徒 7:54-60 いて神の祝福の内に入れられます。信じる者は死んでも生きるのです。  
  迫害はただ享受するだけではなく、逃げることによりさらなる福音宣  
使 徒 8: 1- 3 教に繋がることもあるのです。常に祈り、主の導きに従いましょう。  
  お金。これは私たちの生活に不可欠なものです。しかし、人は金によ  
使 徒 8: 4-25 って生きるのではなく、主の救いの信仰によって生きるのです。  
  聖書は説き明かされることにより真に生きた言葉となります。礼拝説  
使 徒 8:26-40 教はまさに生きた言葉となるよう語られ聞かれなければなりません。  
  サウロ(パウロ)は復活の主イエスと出会うことにより、目からうろこ  
使 徒 9: 1-18 が落ち(18)、主を信じるように導かれました。  
  主に召された信仰者は昨日までの生活とは一変し、主から力を受けて、  
使 徒 9:19-25 主を信じ、主を証しする者となります。  
  教会は回心者を受け入れ、平和を保ち、主を畏れ、聖霊の慰めを受け  
使 徒 9:26-31 ることにより、基礎が固まり、発展し成長していきます。  
  ペトロは主から力が与えられ、主を信じる人たちを癒し、生き返る働  
使 徒 9:32-43 きを行いました。ペトロに力を与えられる主を信じましょう。  
  主はローマの百人隊長に信仰を与え、主の霊に満たされました。主を  
使 徒10: 1- 8 提示され、信仰を与えられるのは主の霊の御業です。  
  ペトロは主によって召され使徒とされましたが罪ある人間には違いあ  
使 徒10: 9-33 りません。主なる神様と使徒・牧師とは区別しなければなりません。  
  イエスは私たちの罪を赦し救いを与えるために十字架に死に復活され  
使 徒10:34-43 ました。彼を信じる者は皆その名によって罪の赦しが受けられます。  
  御言葉が語られ、同時に聖霊が働くことにより、人々は主を信じる様  
使 徒10:44-48 になります。信じた者は洗礼を受け、信仰者としての歩みを始めます。  
  主が人を救うのに、ユダヤ人も異邦人も区別されることはありません。  
使 徒11: 1-18 割礼の有無が問題ではなく、主への信仰の有無が問われているのです。  
  福音はユダヤから世界に広がり始めました。福音の広がりは、同時に  
使 徒11:19-30 主の交わりと執事活動(援助)の広がりを伴います。  
  為政者は自らの罪を隠すため信仰者を捕らえることもあります。私た  
使 徒12: 1- 5 ちは地上での一時の勝利ではなく永遠の勝利を目指して歩みましょう。  
  教会の祈り(5)は、ペトロが救出されることによって聞き届けられます。  
使 徒12: 6-19 不可能と思われることも主の御業では可能です。信じて祈りましょう。  
  自らを神として、神様の栄光をさげすむ者には、主の刑罰が与えられ  
使 徒12:20-24 ます。主は生きておられ、私たちの全てをご覧になられています。  
  主の働き人は、主が召しを与え、立たせ、つかわされます。主の召し  
使 徒13: 1- 3 を受けた者は、主によって変えられ主の働きに就きます。  
  悪魔は主を信じようとする者を、信仰から遠ざけようとします。しか  
使 徒13: 4-12 し主の言葉は力強く、信仰者を守り、悪魔を遠ざけて下さいます。  
  主は、歴史を支配しておられます。イスラエルが主の導きにあったよ  
使 徒13:13-25 うに、私たちをも支配され、信じる者を主の栄光に導いて下さいます。  
  主イエスは、十字架の上に死にましたが、三日目に復活されました。  
使 徒13:26-43 それ故に信じる者は罪の赦しが与えられ、義とされます(37-39)。  
  主の言葉を聞き永遠の命を得るように定められている人は皆、信仰に  
使 徒13:44-52 入ります(48)。しかし他の者は主の言葉が語られることに反対します。  
  主の言葉はある人たちには受け入れられますが、他の人たちには全く  
使 徒14: 1- 7 受け入れられず、かえって迫害の原因となります。  
  どれだけ素晴らしい牧師であったとしても、主の御前には一人の罪人  
使 徒14: 8-20 です。私たちにとって主はただ一人、御子イエス・キリストだけです。  
  神の国に入るまでに、私たちは多くの苦しみを経なければなりません。  
使 徒14:21-28 しかしそうした苦難を乗り越えることにより聖化されていきます。  
  教会内で問題が発生すると、会議を開き神の御言葉を確認して主の真  
使 徒15: 1-21 理を尋ね求めます。一人が権威を持つとそこに罪が混入するからです。  
  会議において決議された事柄は、教会に伝えられ、一人一人の信徒た  
使 徒15:22-35 ちがそれに従うことが求められていきます。  
  パウロとバルナバは、別々に宣教することとなりました。主は彼らを  
使 徒15:36-41 分けられることにより、さらに用いられ福音宣教がなされていきます。  
  割礼は信仰に不可欠なものではありません(15章参照)。しかしパウロ  
使 徒16: 1- 5 は人々が躓かないためにテモテに割礼を施しました。  
  主は聖霊を通して私たちに歩むべき道を示されます。私たちはそれを  
使 徒16: 6-10 敏感に感じ取り、主の御声を確認して、その道を進むべきです。  
  主はリディアの心を開かれ、彼女は信仰を告白しました。信仰とは、  
使 徒16:11-15 主の霊が語られることを受け入れる事に始まります。  
  人は主を信じる者を陥れたりします。しかし主は全てをご存じであら  
使 徒16:16-40 れ、助けをお与え下さいます。主を信じ、主に全てを委ねるべきです。  
  キリストの十字架と復活は、福音の中心です。このことを信じる者は、  
使 徒17: 1- 9 主による救いが与えられ、罪の赦しと永遠の生命が与えられます。  
  聖書を熱心に調べることにより、聖書全体が分かるようになり、神様  
使 徒17:10-15 による救いの真理を受け入れることが出来るように導かれます。  
  主なる神様は唯一生きて働かれます。従って本当に神様を求めようと  
使 徒17:16-34 している人が福音を聞くことにより、主を信じるようになります。  
  主はあなたと共にいて下さいます。主を信じ、主を証しすることによ  
使 徒18: 1-17 り、主からの恵みと祝福に満たされ、主の守りがあります。  
  主の御心は、時として私たちの願っていることとは異なります。しか  
使 徒18:18-23 し主の御心は主の栄光が称えられ私たちに豊かな恵みが与えられます。  
  主の教えをより正確に知ることにより、信仰の確信は強まり、公然と  
使 徒18:24-28 主を証しする者へと変えられていきます(参照:大教理4,159)。  
  キリスト教会では「イエスは主である」との信仰により洗礼を授けま  
使 徒19: 1-10 す。ヨハネは先駆者に過ぎず、他の者の名も信じるに値しません。  
  真実なる信仰に対して、似て非なる自らの名声を高めようとする偽教  
使 徒19:11-20 師が現れます。しかし偽物は露わにされ、真実なる信仰のみ残ります。  
  神は霊であり、いかなる像にもなり得ません。偶像を神として造り、  
使 徒19:21-40 売ることは人の財産を盗む罪として大教理142は語ります。  
  主を否定する者たちは、主を証しする者たちを迫害しようとします。  
使 徒20: 1- 6 しかし主は共にいて下さり、パウロは主によって守られました。  
  日々の働きに追われ疲れていても、主を礼拝するために集まっている  
使 徒20: 7-12 者は、信仰の故に主からの豊かな恵みがもたらされます。  
  計画を立て伝道を行うことは主が良しとされることによって計画通り  
使 徒20:13-16 事が進みます。計画は祈りと信仰を持って立てる必要があります。  
  パウロにとってのエルサレム行き、それは投獄と苦難が待ち受けてい  
使 徒20:17-38 たのです。しかしパウロは主の約束を信じ、逃げることはしません。  
  人々にとってパウロのエルサレム行きは受け入れられません。しかし  
使 徒21: 1-16 主の御心が行われる時、私たちはそれを受け入れる必要があります。  
  福音に対する醜聞や誤解がもたらされることがあります。しかし信仰  
使 徒21:17-26 生活や態度によって誤解が解かれるようにしなければなりません。  
  パウロは逮捕されます。主を信じる者は、時として迫害を受け、逮捕  
使 徒21:27-36 されることも覚悟しなければなりません。しかし主への信仰は貫こう!  
  証しを語ることは、主の御力が自らに及んだことを語ることです。自  
使徒21:37-22:5 分を賞賛するためではなく、主の栄光が称えられる必要があります。  
  自らの回心を語ることは、主の御業を証しすることです。主の御業を  
使 徒22: 6-16 宣べ伝えることにより、福音は伝えられていくのです。  
  パウロが異邦人伝道のための宣教者となったのは、主の召し(内的照  
使 徒22:17-21 明)があったからであり、人々から認められ宣教活動に遣わされます。  
  人は身分で他人を判断します。しかし真に必要なことは主による信仰  
使 徒22:22-29 です。キリスト者は人の上に立つ者となり、主を証ししよう。  
  真理は主にのみあります。従って誤った教えが語られているとそこに  
使徒22:30-23:11 は一致できない点があります。真理を追い求めましょう。  
  主の栄光を称えない誓いは罪です。そしてこうした陰謀は、主が全て  
使 徒23:12-22 ご存じです。主がご存じのことは全てが明らかにされます。  
  主はパウロの生命を守って下さいました。主の御業は未信者であろう  
使 徒23:23-35 が権力者であろうが用いられ、主の御業が成し遂げられます。  
  人を告発する場合、真実に基づいてなされることが求められ、真理を  
使 徒24: 1- 9 歪めてなされる告発は、主の御前に許される行為ではありません。  
  弁明することが求められる時、語る言葉を主に委ね、真実を語ること  
使 徒24:10-23 により、主は最も良き解決をお与え下さいます。  
  信仰生活を貫くにあたっては、正義と節制が求められています(大教理  
使 徒24:24-27 138)。従って下心をもって人を試してはなりません。  
  無信仰・無宗教の為政者もまた主によって立てられた権威者です。従  
使 徒25: 1-12 ってキリスト者はどの様な為政者にも服従し祈ることが求められます。  
  裁判にかけられるには、その理由がなければなりません。フェストス  
使 徒25:13-27 はパウロの罪を定めることなく裁判にかけることをためらっています。  
  以前の自らの行いを語ることは、自らの誤りを認め、罪の悔い改めを  
使 徒26: 1-11 行うことです。自らの罪の姿を語る時、主の救いが露わになります。  
  主による救いはある意味自らの意志に関係しない主からの一方的な命  
使 徒26:12-18 令です。しかし主の恵みに満たされることに私たちの祝福があります。  
  メシア(キリスト)の苦しみ(十字架)と死からの復活を語ることは、そ  
使 徒26:19-23 れを聞き受け入れる者に、救いの光を指し示すことです。  
  長く語られたから主を信じることが出来るものではありません。語ら  
使 徒26:24-32 れる言葉に聖霊が働くことにより主を信じるものとされます。  
  熟練した腕と共に季節気候など様々な状況を判断する必要があります。  
使 徒27: 1-12 私たちの生活でも全体を見渡し総合的に判断しなければなりません。  
  困難に出会った時、慌てることなく、主に祈り、主がお語り下さる声  
使 徒27:13-44 に耳を傾けることが求められます。主は良き知恵を授けて下さいます。  
  人は他人の結果をみて一喜一憂します。しかし良き結果は主の恵みに  
使  徒28: 1-10 よって与えられた故です。自らを誇ることなく、主を誇りましょう。  
  主の働きを続けるパウロを迎えに来たローマの兄弟たちに、パウロは  
使 徒28:11-16 主に感謝を献げます。ここに主にある兄弟姉妹の交わりがあります。  
  御言葉の宣教がなされる時、ある者は聞くが、ある者は聞き入れませ  
使 徒28:17-30 ん。聖霊が働かなければ、目で見ることも耳で聞くことも出来ません。  
  主イエス・キリストこそ、私たちの罪を赦し、死から永遠の生命をお  
ローマ 1: 1- 7 与え下さる救い主です。この方を私たちは信じているのです。  
  パウロの祈りは主への感謝とローマ教会に対する執り成しです。また  
ローマ 1: 8-15 パウロが主から託された働きは異邦人への福音宣教です。  
  福音は信じる者に救いをもたらす神の力であり、神の義が啓示されて  
ローマ 1:16-17 いるからこそ、信じるに値し、恥じる必要はありません。  
  私たち人間の持っている罪が示されています。罪を有する者は、神の  
ローマ 1:18-32 律法によって裁かれ死に値します。救いは主にしかありません。  
  神の裁きは全ての人にもたらされます。誰一人逃れることは出来ませ  
ローマ 2: 1-16 ん。福音に聞き、律法に実行する者には、永遠の命が与えられます。  
  御言葉に聞く者は、自らその御言葉に聞き従うものとなり、御言葉を  
ローマ 2:17-29 飾った行いを通して主を証しするものとなりましょう。  
  私たちはどこまでも不義であり、義は神にしかありません。私たちの  
ローマ 3: 1 -8 罪が示されれば示される程、神の真実が明らかにされます。  
  律法の下に正しい者は誰一人ありません。全世界が神の裁きに服する  
ローマ 3: 9-20 のです。従って救いは神様からの一方的な恵みによって与えられます。  
  イエス・キリストを救い主と信じる者に、神の義が与えられます。義  
ローマ 3:21-31 と認められた者は、キリストの血により罪の償いが与えられました。  
  アブラハム同様私たちも信仰によって主に義と認められます。主が罪  
ローマ 4: 1-12 を覆い隠され、取り除かれたからです。参照:ウ信仰告白11章、16:5  
  律法によって私たちは自らの罪を知ります。しかし罪人たる私たちを、  
ローマ 4:13-25 主は信仰によって罪の赦しと救いをお与え下さいます。  
  信仰によって義とされた者は、神の栄光にあずかる希望を誇りにして  
ローマ 5: 1-11 います。同時に苦難をも神の愛により誇りとなります。  
  神の恵みと義の賜物とを豊かに受け入れている人は、一人のイエス・  
ローマ 5:12-21 キリストを通して生き、支配するようになるのです(17)。  
  洗礼を受けた時、私たちはキリストの十字架の死に与り、罪に支配さ  
ローマ 6: 1-14 れた体は滅びました。そしてキリストと共に永遠の命が与えられます。  
  神によって義とされた者は、神の奴隷となり、神に従順に仕える者と  
ローマ 6:15-23 なっているのです。聖なる生活は、救いの感謝と喜びから生じます。  
  律法は、人々に罪を示し、罪の故の悔い改めを示し、悔い改めた神の  
ローマ 7: 1- 6 民には律法から解放し、神の実りとして神への服従へと向かわせます。  
  律法があるからこそ、私たちは絶対的な罪の基準を知ることが出来る  
ローマ 7: 7-12 ものとされたのです。律法がなければ人は自らの欲望のまま行きます。  
  律法によって罪が示され、罪が善にはあらず悪であることが示されま  
ローマ 7:13-25 した。私たちも罪人です。罪人の救いはキリストに他ありません。  
  信仰によりキリストに結ばれている私たちは、肉ではなく霊によるキ  
ローマ 8: 1-11 リストの支配の下にあり、私たちを永遠の命に定めて下さいます。  
  私たちは神様を「お父ちゃん」と呼ぶことが許されています。そして  
ローマ 8:12-17 神の子として、神様の全ての財産を受け継ぐ恵みも与えられています。  
  地上における様々な苦しみは、一時的なことです。しかし主がお与え  
ローマ 8:18-25 下さる将来の栄光は、無限の広がりを見せる永遠の希望です。  
  地上における苦しみの中にある私たちに、主は祈りにより霊を通して、  
ローマ 8:26-30 助け、力づけ、励まして下さいます。  
  神は私たちの見方です。だからこそ私たちはすでに勝利を得ています。  
ローマ 8:31-39 地上における一時的な苦しみもあるが永遠の祝福が約束されています。  
  パウロはユダヤ人たちが神から離れていることに深い悲しみを覚えま  
ローマ 9: 1- 5 す(2)。キリストを信じキリストに繋がることの恵みと祝福を語ります。  
  神の救いは神の一方的な憐れみにより与えられます。神の言葉を信じ  
ローマ 9: 6-18 る者は神の約束の内に入れられ、神の子の全ての特権に与れます。  
  主は創造主であり、人は被造物であることを忘れてはなりません。創  
ローマ 9:19-29 造主の声に聞き従うことに、被造物にとっての祝福があります。  
  主は行いではなく信仰によって義として下さいます。律法を全うする  
ローマ 9:30-33 ことの出来ない罪人であることを覚え、主の救いを信じましょう。  
  主を信じる者にとって律法は神の義を追い求める目標です。救われる  
ローマ10: 1- 4 ために律法を守るのではなく、救われたからこそ律法を守るのです。  
  口でイエスは主であると公に言い表す者は救われます(9:信仰義認)。  
ローマ10: 5-13 御言葉の聖書にある主を知り、信じることにより救われます。  
  信仰はキリストの言葉を聞くことにより始まります(17)。私たちの心  
ローマ10:14-21 にキリストが宣べ伝えられる時、人々に対しても証しされていきます。  
  多くの者はキリストの言葉を聞いても信じません。しかし主は真の神  
ローマ11: 1-10 の民に御声を届け、主に聞き従う者を残しておいて下さいます。  
  主の救いは異邦人にも向けられています。主の救いに民族は関係あり  
ローマ11:11-16 ません。パウロは特に異邦人の救いのために立てられた使徒です。  
  救いとは、折れた枝である罪人が、命の木である神に接ぎ木されたこ  
ローマ11:17-24 とです。だからこそ信じることにより永遠の生命が約束されています。  
  うぬぼれてはなりません。真の賢さを持っておられるお方は主のみで  
ローマ11:25-32 す。主の聖・義・真実に聞き従う時、私たちの信仰は養われます。  
  神の富と知恵と知識は深いです。全てはこの主から出ます。だからこ  
ローマ11:33-36 そ主にのみ真の栄光があり、私たちは讃美し礼拝を献げるのです。  
  神を礼拝すること、それは頭で行うことではなく、体全体で、私たち  
ローマ12: 1- 2 自身が主によって生かされている喜びを持って生きることです。  
  私たちはそれぞれ主の体の一部です。それぞれ異なった賜物が与えら  
ローマ12: 3- 8 れているからこそ互いに助け合い、主に仕えて奉仕を行っていこう。  
  主から賜った愛を私たちは持っています。迫害する者をも受け入れ愛  
ローマ12: 9-21 し、祝福を祈り求める時、主の求める平和を実現することが出来ます。  
  良心に従い、主の教えに反しない限り、上に立つ権威者に従うことが  
ローマ13: 1- 7 求められています。また同時に神に仕える権威者が求められています。  
  本当の意味で人を愛する時、主がお与え下さった律法を全うすること  
ローマ13: 8-10 となります。この本当の愛は、神の愛を知り、初めて与えられます。  
  最後の裁判の時は近づいています。だからこそ闇の行いを脱ぎ捨て、  
ローマ13:11-14 主のお与え下さる光の武具を身に着けて歩もう(エフェソ6:10-20)。  
  人は様々な賜物が与えられています。信仰的に弱い人も虐げることな  
ローマ14: 1-12 く、受け入れ、互いに尊重し合うことが求められています。  
  人をつまづかせたり、おとしいれたりすることは、その人に対する罪  
ローマ14:13-23 であり、主に対する罪です。神の義と平和と喜びを求め続けよう。  
  私たちはキリストの救いに与って強い者とされています。だからこそ  
ローマ15: 1- 6 隣人の弱さを覚え、忍耐と慰めをもって互いに助け、主に仕えよう。  
  主は無からでも豊かな実りをもたらして下さいます。だからこそ希望  
ローマ15: 7-13 の源である主によって希望に満ちあふれた歩みを行いましょう。  
  主はパウロを召し福音宣教者としてお立て下さいました。同様に主は  
ローマ15:14-21 私たちをキリスト者として召して下さっています。主の召しに従おう。  
  主は自らの思いを告げつつ、主が託された働きに従事します。私たち  
ローマ15:22-33 も自らの思いを貫くことなく、主の語りかけに耳を傾け従いましょう。  
  教会に立てられた執事(新共同訳では奉仕者)の働きは重要です。教会員の  
ローマ16: 1-16 みならず苦しみを覚える人々に愛の業を行うことは主の命令です。  
  主の教えを軽んじたり聞き従わない者は、自分の欲望のままに生きて  
ローマ16:17-24 います。悔い改められることを祈りつつも彼らに仕えてはなりません。  
  福音つまりイエス・キリストについての宣教によって人々は真理を知  
ローマ16:25-27 り、罪の悔い改めと主への信仰が与えられます。主の働きを信じよう。  
  キリストの言葉・キリストの知識において私たちは豊かにされていま  
1コリ 1: 1- 9  す。そして主の日に非のうちどころのない聖なる人とされます。  
  私たちは○○牧師・○○先生の民ではなく、キリストの民です。尊敬  
1コリ 1:10-17 する師を主と化してはなりません。主はキリストお一人であられます。  
  人間的な知恵では人は救われません。愚かなことと人が語る十字架の  
1コリ 1:18-30 言葉によって真の救いがあり、神の知恵・義・聖・贖いがあります。  
  人が神を信じるようになるためには、人の知恵によってなされるので  
1コリ 2: 1- 5 はなく、神の力(聖霊の働き)によるものです。  
  信仰者に対しては神の知恵が語られます。これは神秘であり、聖霊の  
1コリ 2: 6-16 働きがなければ、誰もこの神秘を知り、信じることはできません。  
  牧師・伝道者は主によって立てられた奉仕者に過ぎません。奉仕者で  
1コリ 3: 1- 9 はなく彼らを使わされた主を信じ、主に仕えていきましょう。  
  私たちの土台はキリストです。キリストの土台の上に主がお与え下さ  
1コリ 3:10-17 った賜物・個性が育まれ、主を証しする器とされていきます。  
  この世の知恵は神の知恵に比べれば愚かなものです。だからこそ自ら  
1コリ 3:18-23 の知恵を誇ることなく神の知恵を身に着け、主と共に歩もう。  
  主の御前に明らかにされないことはありません。隠された闇をも主は  
1コリ 4: 1- 5 明るみにし、裁きをもたらされます。主の御前に真実に生きよう。  
  たとえキリストを信じる故に世において屑・愚か者となったとしても、  
1コリ 4: 6-13 迫害を耐え忍び主に仕える者には主からの恵みと祝福で満たされます。  
  福音によって召されたパウロに倣うこと、それは主イエスに倣うこと  
1コリ 4:14-21 です。主において忠実な者として、愛と柔和な心を持って歩もう。  
  教会にも罪の故に淫らな行為を繰り返す者が表れます。しかし教会は  
1コリ 5: 1- 8 彼らを戒規に付し、悔い改めと真の信仰の道を求めています。  
  教会の外にいる者たちの裁きは主がなされます。だからこそ私たちは  
1コリ 5: 9-13 教会の内で不正がはびこらないように教会統治しなければなりません。  
  裁きは主の御前でなされます。罪は主によって裁かれます。しかし罪  
1コリ 6: 1-11 を認め、真の悔い改めを行う人を、主は赦し救いをお与え下さいます。  
  滅びるものを求めるのではなく、滅びることのない霊である主を求め  
1コリ 6:12-20 て歩みましょう。そうすることにより私たちも主のものとされます。  
  人は異性に引かれます。しかし姦淫の罪の誘惑を避けるためには、主  
1コリ 7: 1- 7 によって定められた結婚すべきです。サタンの誘惑との戦いです。  
  離婚が許されるのは、信者でない配偶者が離れていく場合のみです。  
1コリ 7: 8-16 結婚は主が定めて下さった神聖なる制度であることを覚えるべきです。  
  キリストを信じて歩む者はキリストの奴隷(しもべ)であって、決して  
1コリ 7:17-24 人の奴隷ではあってはなりません。人の言葉ではなく神の掟に従おう。  
  結婚すれば配偶者への配慮が必要です。信仰と結婚の両方に心を留め  
1コリ 7:25-35 なければなりません。必要でなければ結婚しないこともよいのです。  
  結婚したい相手が見つかれば、結婚した方がよいでしょう。しかし結  
1コリ 7:36-40 婚が主によって定められた制度であることを忘れてはなりません。  
  世には八百万の神々がありますがそれらは造られた像です。真の唯一  
1コリ 8: 1- 6 の神は主なる神様のみです。私たちは主によって存在しています。  
  信仰の弱さの故にある食物を食することが出来ない人たちを裁いては  
1コリ 8: 7-13 なりません。弱さを持っている人に対する配慮が必要です。  
  福音を告げ知らせることは、そうせざるを得ないとの思いから行うの  
1コリ 9: 1-18 です。福音宣教は「しなければ」と強いられて行うものではありません。  
  私たちが得ようとしているのは朽ちない冠です。地上においてやがて  
1コリ 9:19-27 は朽ち果てるものではなく、永遠の主の祝福を求めて歩み続けよう。  
  私たちを襲う試練は、人間として耐えられないようなものは決してあ  
1コリ10: 1-22 りません。主が守り、耐えられるよう逃れる道を備えて下さいます。  
  食べるにしろ飲むにしろ何をするにしても神の栄光を現すために行お  
1コリ10:23-11:1 う(小教理1)。主は私たちと共におられ主の祝福に満たされています。  
  神を礼拝する時、習慣から著しく外れた行為は取るべきではありませ  
1コリ11: 2-16 ん。私たちは常に主の御前にあることを覚え、ふさわしくあろう。  
  教会には様々な人たちが集まります。そこには個性の違いがあっても、  
1コリ11:17-22 信仰による一致が求められ、分裂分派が起こってはなりません。  
  主の晩餐のパンと杯は、主が私たちを罪から救って下さったことを覚  
1コリ11:23-34 えるため記念として与えられたものです。感謝して与りましょう。  
  主の霊が働くからこそ私たちは神を主と告白する者とされたのです。  
1コリ12: 1-11 この主の霊により、私たちは各々異なった賜物が与えられています。  
  各々異なった賜物が与えられた者がキリストの体である教会に集うこ  
1コリ12:12-26 とにより、一つの体を形成し、互いに補いながら教会を形成します。  
  キリストの体たる教会には様々な賜物が与えられた者がいるからこそ  
1コリ12:27-31 有機的に働くのであり、主があなたにお与えになる賜物を求めよう。  
  愛、これこそが主が私たちをお救い下さる源であり、真に主の愛が示  
1コリ13: 1-13 され救われた者は、主と人への愛に生きる者とされていきます。  
  異言を語っても解釈出来なければそれは偽物です。主の言葉は預言さ  
1コリ14: 1-25 れ、解釈されることにより、私たちは理解でき、信仰へと導かれます。  
  当時の教会の様子は現在とはかなり異なります。しかし礼拝は秩序正  
1コリ14:26-40 しく行われることが必要であり、そのために互いに配慮しましょう。  
  キリストは私の罪のために十字架に死に葬られました。そして死に打  
1コリ15: 1-11 ち勝ち復活し、天の昇られました。福音はキリストにのみあります。  
  私たちは死んでも復活し、信じる者は永遠の生命が与えられます。こ  
1コリ15:12-34 こにこそ信仰による希望があり、喜びがあります。  
  罪の故に人は死にます。しかし勝利のラッパが鳴ると、信じる者は復  
1コリ15:35-58 活して朽ちない勝利の永遠の体が与えられます。  
  援助を必要とする者に対して特別な献金が献げられています。私たち  
1コリ16: 1- 4 も災害や大会の求めに応じて献げることにより、主の恵みに与れます。  
  パウロは旅の計画を立てますが、全て主の許しがあり、道が開けてか  
1コリ16: 5-12 ら行動します。また滞在者に対する世話をすることも主の求めです。  
  目を覚まして社会を見、信仰と愛を持って行動することが求められて  
1コリ16:13-24 います。そのためにキリストと信仰の先輩に倣うことは多いのです。  
  パウロが使徒とされたのは、神の要求であります。私たちも、牧師・  
2コリ 1: 1- 2 長老・執事・委員としての召しは主から与えられるものです。  
  主は私たちを苦しみの中から慰め救い出して下さいます。そしてこの  
2コリ 1: 3-11 主の慰めにより、さらに人々に対して慰めることが出来るのです。  
  何事を行うにあたっても人間の知恵によってではなく、神の御言葉か  
2コリ 1:12-2:4 ら受けた純真と誠実によって行動することこそ、主の確信となります。  
  罪により違反を犯した者に対しては、主と教会における戒規が科せら  
2コリ 2: 5-11 れます。だからこそそれ以上責めることなく、赦しましょう。  
  キリストを宣べ伝える者、それは売名のために行うのではなく、キリ  
2コリ 2:12-17 ストによる救いが語られる福音を携えた行為であります。  
  私たちが主を証しする者としての資格は、主の霊によって与えられ、  
2コリ 3: 1-17 教会によって確認・承認を受けます。主の霊に繋がる者は救われます。  
  私たちは土の器です。ここに宝である神の御言葉・神の霊が入れられ  
2コリ 4: 1-15 ることにより、私たちは命を得、救いに入れられます。  
  私たちは外なる体が滅びても(死)、内なる人は日々新たにされ、神の  
2コリ 4:16-5:10 国における栄光化さえた永遠の生命が約束されています。  
  神は私たちをありのままご存じです。神はキリストの贖いの故に私た  
2コリ 5:11-21 ちと和解して下さいました。私たちは神により神の義を得られます。  
  私たちは自分の心を狭くし、神を受け入れようと出来なくなっていま  
2コリ 6: 1-13  す。しかし、神に心を開け、神の御言葉に耳を傾けるべきです。  
  生きて働く主なる神と偶像たる他の神々を比べることは無意味です。  
2コリ 6:14-7:1 罪の赦しと救いと命を与えて下さるのは主なる神だけです。  
  キリスト者であるあなたが苦しむ者と共にいることは、力強く慰めに  
2コリ 7: 1-16 もなります。そのことにより主への信仰と熱心が与えられていきます。  
  必要を覚える人たちを助ける執事活動(コイノニア)は、主による救い  
2コリ 8: 1-15 にあるからこそ、感謝と喜びをもって行うことが出来るのです。  
  献金の取扱いは厳密にされなければなりません。そのため非難される  
2コリ 8:16-24 ことがないために、現在では複数委員によって確認しています。  
  献金は強いて行うことではなく、救いへの感謝として喜んで行うこと  
2コリ 9: 1-15 です。主は必要を満たし、献げる人に祝福をもたらして下さいます。  
  人のうわべ、つまり肉により朽ち果てるものを見るのではなく、内心、  
2コリ10: 1-17 つまり神により永遠に与えられる霊に満たされた心を見よう。  
  神の福音を語ることは、常に変化することはありません。時としてそ  
2コリ11: 1-15  れを邪魔する偽使徒、サタンも現れます。誤魔化されてはなりません。  
  キリストを信じ告白するが故に迫害されることもあります。それに耐  
2コリ11:16-33 えることが出来るのは信仰・永遠の救いと祝福の希望がある故です。  
  私たちは弱く、様々な苦しみ迫害に耐えられません。弱いからこそ強  
2コリ12: 1-10 く全てに勝利を遂げて下さる主を信じ主に委ねることが出来るのです。  
  私たちが誇るのはみかけではなく、主の福音であり、福音によって与  
2コリ12:11-21 えられた信仰と永遠の生命です。人はみかけで判断してはなりません。  
  神によって完全な者になる歩み、それは救いの喜びに満たされて、主  
2コリ13: 1-13 の御言葉に聞き続け、日々聖化されることにより可能となります。  
  パウロはキリストによって召されて使徒となり、キリストの十字架に  
ガラテヤ1:1〜5 より罪の赦しと救いが与えられました。私たちも然りです。  
  福音はキリストにのみあります。他の教えを受け入れ信じようとする  
ガラテ 1: 6-10 ことは主の道から外れることです。彼らには主の裁きが待っています。  
  福音とはパウロや牧師が自分の言葉で語るのではなく、イエス・キリ  
ガラテ 1:11-24 ストの啓示によって知らされたもあり、神にのみ由来します。  
  パウロは使徒として主から召しを受け、ペトロを始めヤコブ・ヨハネ  
ガラテ 2: 1-10 たちによって按手を受けたのです。パウロの使命は異邦人伝道です。  
  使徒や牧師であろうと誤りを犯すことがあります。その時にその誤り  
ガラテ 2:11-14 を正し、主の正しい道を示していくことは正しい行為です。  
  私たちはキリストへの信仰によって義とされているのであり、私たち  
ガラテ 2:15-21 はキリストの内にあって生き続けることが出来ているのです。  
  信仰によって生きる人は、信仰の人アブラハムと共に祝福されており、  
ガラテ 3: 1-14  キリストの十字架により律法の呪いから贖い出されたのです。  
  恵みの契約(約束)により救いが与えられるのであり、律法は違反を明  
ガラテ 3:15-20 らかにし、罪の悔改めと主への従順を指し示しています。  
  律法の示される所に置かれると私たちは罪の故に死に値します。しか  
ガラテ 3:21-29 しキリストにより洗礼に導かれた者は、信仰により救われています。  
  キリストによって救われた者は、神の子としての身分が与えられてお  
ガラテ 4: 1- 7 り、神からの相続としての永遠の生命を受け継ぐものとされています。  
  信仰から離れることに対するパウロの説得がなされています。主によ  
ガラテ 4: 8-20 る真実の救いが与えられ、祈り続けることが求められています。  
  キリストによって救いに入れられる。それは、神により罪の奴隷の状  
ガラテ 4:21-5:1 態から自由が与えられ、神によって永遠に生きる者とされたのです。  
  キリストにより義とされた者は、キリストの愛により私たち自身が愛  
ガラテ 5: 2-15 を実践する者へと変えられていきます。十字架をよりどころとしよう。  
  肉の業、そこには罪が満ちています。地上における欲望に目を奪われ  
ガラテ 5:16-26 ることなく、霊の業、つまり御言葉の指し示す言葉に耳を傾けよう。  
  自分を誇るものではなく、主にある救いを喜び、主がお与え下さる重  
ガラテ 6: 1-10 荷を担って歩み続けよう。そこにこそ神の国の祝福があります。  
  救いに必要なものはキリストの十字架を信じることであり、割礼でも  
ガラテ 6:11-18 他の何ものでもありません。人を恐れることなく、主を畏れよう。  
  パウロはキリストによって召され使徒とされました。私たちもキリス  
エフェ 1: 1- 2 トによって召されたからこそキリスト者とされ救われたのです。  
  主は天地創造の前に神の子にする全てのキリスト者を選び、御言葉に  
エフェ 1: 3-14 より知恵と理解を与え、信じて救われる者へと導いて下さいます。  
  御言葉によって示される救いの希望を知れば知る程、私たちは神の愛  
エフェ 1:15-23 を知り、主によって与えられる祝福の大きさ、神の力が示されます。  
  神を信じる前の私たちは罪の故に死んでいたのです。真の生は、信仰  
エフェ 2: 1-10 が与えられ、神の霊の内に生きる事により与えられます。  
  キリストにより平和がもたらされます。キリストを信じ神の家族とな  
エフェ 2:11-22 ることにより、神による一致を求め、忍耐をもって和解すべきです。  
  奥義は教会を通して神の御言葉が世に示され、神によって召された者  
エフェ 3: 1-13 たちが御言葉により神を信じ、永遠の計画を受け入れる者とされます。  
  キリストの愛の広さ、長さ、高さ、深さがどれ程であるかを、私たち  
エフェ3:14-21  は御言葉による養いによって知り、確信していくことが出来ます。  
  主は私たちに賜物を与え、それぞれに相応しい働きの場所をお与え下  
エフェ4:1-16 さっています。主がお与え下さった賜物を用いて主に仕えよう。  
  主によって召され救われた者は聖なる者とされ、それに伴い肉の生き  
エフェ4:17-24 方から離れて、御言葉の真理に基づいた生活へと変えられて行きます。  
  主によって救われた者は、偽りを捨て、真実を語り、互いに赦し合い、  
エフ4:25-5:5 神に倣う者となることです。私たちはキリストの愛の内にあります。  
  世には空しい言葉がはびこっています。惑わされることなく、主の言  
エフェ5:6-20 葉に従い賢い者として生きることが求められています。  
  夫婦は二人が一体となり、互いに愛し敬うことが求められます。キリ  
エフェ5:21-33 ストと教会が分かたれることがないように、夫婦も一体です。  
  キリストに従うように、親・主人そして年長者に従うべきです。上に  
エフェ6:1-9 立つ者は、しつけ諭し、他の人と分け隔てをしてはなりません。  
  キリスト者である以上、信仰の戦いを避けて通ることは出来ません。  
エフェ6:10-20 自らの力で戦うことは不可能であり、神の武具を身に付けよう。  
  牧者であるパウロは常に群れであるエフェソ教会のことを心に留め、  
エフェ6:21-24 教会を励ましています。牧師たる者、常に全ての信徒を覚えています。  
  牧師・長老(監督)・執事(奉仕者)がキリストの教会に立てらています。  
フィリピ1:1-2 教会は彼らを代表とする教会に集う全ての民によって構成されます。  
  パウロは牢獄の中から手紙を書いています。にもかかわらず、キリス  
フィリピ1:3-11 トにあること、フィリピ教会との交わりを喜んでいるのです。  
  生きることはキリストを証しすることであり、死ぬことは聖化が完成  
フィリ1:12-30 し、キリストの交わりに入れられる喜びがあります。  
  キリストの賛歌です。キリストの地上での低い状態と、天に昇られた  
フィリピ2:1-11 後の高い状態が誉め讃えられています。「イエス・キリストは主である。  
  常に主の御言葉による救いの感謝に満たされ、御言葉に従順に、喜ん  
フィリ2:12-18 だ生活を送ることこそ祝福です。苦しい時こそ、喜んで主に従おう。  
  パウロのフィリピへの愛を垣間見ることが出来ます。主を信じる者は  
フィリ2:19-30 主を信じ愛する様に、主によって召された兄弟姉妹をも常に顧みます。  
  パウロはキリストを信じ多くのものを失いました。しかしキリストに  
フィリピ3:1-11 ある救いは、地上で失ったものに比べものにならない祝福があります。  
  救いの完成は肉体の死とキリストの再臨によってもたらされます。し  
フィリ3:12-4:1 かし信者は既にその約束が与えられ、決して滅びることはありません。  
  信仰によって与えられる祝福は素晴らしいです。だからこそ何事にも  
フィリピ4:2-9 思い煩う必要はなく、感謝と喜びをもって日々歩めばよいのです。  
  福音宣教者のために献げること、それは主の喜びでもあります。貴い  
フィリ4:10-20 献げ物は主の働きのために用いられ、大きな実りをもたらします。  
  兄弟姉妹としての繋がりは自分の教会内にのみあるのではなく、見た  
フィリ4:21-23 こともない教会の兄弟姉妹にも及びます。主にある兄弟姉妹なのです。  
  神からの恵みと平和は、常に私たちと共にあります。そして全ての教  
コロサイ1:1-2 会にも等しく与えられています。祈りによって共に支えあいましょう。  
  キリストへの信仰は、天の希望であり、福音(真理の言葉)を通して語  
コロサイ1:3-8 られることにより伝えられます。礼拝はその中心に位置づけられます。  
  主は私たちを闇の力から救い出し御子の支配下に置いて下さいました。  
コロサイ1:9-23 私たちは御子によって贖い、罪の赦しを得ています(13-14)。  
コロサイ パウロは神の御言葉を宣べ伝えるために受ける迫害という苦しみを楽  
   1:24-29 しんでいます。それは福音にこそ真の救いの喜びがあるからです。  
  人はだまそうとします。しかし真の知恵と知識の宝はキリストの内に  
コロサイ2:1-5 のみ、つまり神の御言葉にしかありません。だから宣べ伝えるのです。  
  私たちは人によって考え出された事に従うことなく、神が聖書という  
コロサイ2:6-19 御言葉によって語る言葉に耳を傾けなければなりません。  
コロサイ 私たちはキリストの十字架を背負い、キリストと共に死に、キリスト  
  2:20-3:11 と共に復活したのです。肉に惑わされることなく、霊に従おう。  
コロサイ 互いに忍び合い赦し合うことこそ、主にある愛の証しです。神は私た  
   3:12-17 ちに平和で、互いに助け合い、主の栄光が称えられる世を望まれます。  
コロサイ 妻は夫を、夫は妻を、子供は両親を、父親は子供を、奴隷は主人を、  
   3:18-4:1 主人は奴隷を敬い、尊ぶべきです。上に立つ者は思いやりが必要です。  
  主に対して祈ることは何より主からの命を確認でき、主によって生か  
コロサイ4:2-6 されていることを覚えることが出来ます。互いに祈りあいましょう。  
コロサイ 使者を送ることにより、互いの様子を知り、深く覚え、祈り合うこと  
     4:7-18 が出来る様になります。離れていても主にある兄弟姉妹なのです。  
一テサロニケ テサロニケ教会の信仰こそ、キリストに倣い、キリストを証しする信  
   1: 1-10 仰であり、主の栄光を称えるものです。  
一テサロニケ 人に喜ばれるためではなく、神に喜んで頂くために生きることこそ、  
   2: 1-12 私たちに求められていることです。ここに真の宣教もあります。  
一テサロニケ 神の言葉を聞き、受け入れる時、私たちは神の言葉に従う者、神の言  
   2:13-16 葉に倣う者とされます。行動の伴わない信仰はありません。  
一テサロニケ パウロはテサロニケに行くことが出来ません。しかし兄弟姉妹として  
   2:17-20 の深い交わりがあり、深い祈りが献げられています。  
一テサロニケ 主を信じる故の迫害は避けられません。しかし主の救いは真実であり、  
   3: 1- 5 主は必ず、私たちを力づけるための協力者をお送り下さいます。  
一テサロニケ 苦難を耐え忍ぶことにより主は救いをお与え下さいます。また離れて  
      3: 6-13 いても、常に主にある兄弟姉妹との豊かな交わりに満たされています。  
一テサロニケ 御言葉とキリストに倣う生活は、救いの感謝と喜びに満たされること  
      4: 1-12 で可能となります。苦難にあっても兄弟姉妹を愛することもです。  
一テサロニケ 主を信じる者は、キリストが復活したように復活します。そして全て  
   4:13-18 のキリスト者は復活する時に再会することが出来るのです。  
一テサロニケ 主の再臨の時は誰も分かりません。しかしいつ主が来られても良いよ  
   5: 1-11 うに備えていましょう(参照:エフェソ6章)。  
一テサロニケ 主の救いに対する感謝と喜び、主を信頼して祈り続けることこそ、キ  
   5:12-28 リスト者としての姿です。聖と義・真実は主によって与えられます。  
二テサロニケ キリストは再臨されます。主イエスを信じない者は最後の審判により  
   1: 1-12 裁きを受けます。しかし主を信じる者は救いが与えられます。  
二テサロニケ 終末の時代、偽預言者・偽教師が現れます。しかし騙されてはなりま  
   2: 1-12 せん。真理は御言葉である聖書からのみ示されています。  
二テサロニケ 主が私たちを救われるべき者としてお選び下さっています。だからこ  
      2:13-17 そ私たちは永遠の慰めと確かな希望を持ち続けることが出来るのです。  
二テサロニケ 祈りは信仰を強めます。また祈りにより、主は私たちを守り導いて下  
      3: 1- 5 さいます。自分・家族・教会員・隣人のために祈り続けましょう。  
二テサロニケ 労働条件が整っているにも関わらず働かないのは、主が人を創造して  
   3: 6-15 下さった目的から逸している行為です。働くことこそ信仰者の姿です。  
二テサロニケ 神は平和の主です。人々の間に和解と平和を望まれ、神の国の完成の  
   3:16-18 時には真の平和がもたらされます。暴力による平和はあり得ません。  
一テモテ 聖書にないことを真理として追い求めることは無意味です。何が罪で  
   1: 1〜11 あるかは律法に示されており、私たちは律法に従わねばなりません。  
一テモテ 救いは私たちが主を選んだからではなく、主が私たちを恵みの内に召  
   1:12-20 して下さったからです。感謝と喜びをもって主に仕えよう。  
  私たちは毎日主に祈り求めるべきです。それは、願い・祈り・執り成  
一テモテ2:1-3:1 し・感謝、さらに付け加えて主の栄光を称えることです。  
  教会で監督(具体的には牧師・長老)となるための基準が示されてい  
一テモテ3:1-7 ます。信仰と生活・世的な評判と働きが問われてきます。  
  奉仕者(執事)も監督(前日参照)同様に品位が問われます。教会を代表  
一テモテ3:8-13 する者たちは、周囲の人からも認められる必要があります。  
一テモテ 私たちは神の家たる神の教会に集っています。神の家に集う者はキリ  
       3:14-16 ストの十字架の贖いの故に罪赦され、神の義・聖が与えられています。  
  偽預言者・偽牧師は現れます。しかし神の言葉と祈りにより、私たち  
一テモテ4:1-5 の信仰は守られ、また日々聖なるものとされ続けます。  
  体の鍛練よりも信心の鍛錬が求められます。信仰の養いと訓練・良き  
一テモテ4:6-16 生活により、年少であることだけで蔑まれることはなくなります。  
  家族・隣人を敬い、大切にすべきです。主は私を創り救われたように、  
一テモテ5:1-16 隣人をも創り救われます。主の愛は隣人への愛を生み出します。  
一テモテ 主による救いに与る者として、罪に加わることなく、潔白でいること  
       5:17-6:2 が求められています。罪も良い行いも全て主の御前に明白になります。  
  金銭の欲は全ての悪の根です。与えられたものに満ち足りる者は、主  
一テモテ6:2-10 によって大きな利得が与えられます。  
一テモテ 信仰の戦いを立派に戦い抜き、永遠の命を手に入れるために、私たち  
       6:11-21 は神から召されています。主の御言葉に聞き従い、信じて歩もう。  
  主は臆病の霊ではなく、力と愛と思慮分別の霊を私たちに下さってい  
二テモテ1:1-18 ます。だからこそ私たちは勇気を持ち、大胆に信仰を証ししよう。  
  私たちはキリスト・イエスにおける恵み、つまり御言葉に聞き、主の  
二テモテ2:1-13 御霊に満たされた時、主が信仰を強めて下さいます。  
二テモテ 言葉をあげつらうことなく、真理の言葉を適切に語る者であろう。私  
       2:14-26 たちは神の器として、主によって貴いものとされているのです。  
  愚かさと無知は人々の前で明らかにされます。だからこそ罪に罪を重  
二テモテ 3:1-9 ねる人々を避け、御言葉による信仰によって身を飾ろう。  
テモテ二 聖書は私たちに信仰生活の知恵を教えます。聖書を毎日読み、主に祈  
   3:10-17 ることこそ、私たちの信仰の養いとなり主からの恵みが与えられます。  
  聖書は誤って読まれることがしばしばあります。しかし、私たちは御  
テモテ二 4:1-8 言葉の真理に耳を傾ける時、信仰が歪むことは決してありません。  
  信仰から離れる者もいます。しかし主に従い続ける者にこそ、主から  
テモテ二4:9-18 の恵みと祝福が約束されています。世を愛さず、主を愛そう。  
テモテ二 主にある兄弟姉妹の交わりにより、私たちの信仰は強められ、養われ  
   4:19-22 ます。一人では信仰に留まり得ない者も、交わりにより守られます。  
  主は永遠の昔から、永遠の命の希望に定め、導いて下さっています。  
テトス 1 :1- 4 宣教により、主は神の民を教会に導き、救いをお与え下さいます。  
  教会の役員として立てられている牧師・長老派、特に、主の律法に倣  
テトス 1: 5-16 った生活を行うことにより、主を証しすることが求められています。  
  不信心と現世的な欲望は、主の御前に罪にあたります。主による贖い  
テトス 2: 1-15 に与った恵みに満ちた私たちは、主の御言葉に聞き従いましょう。  
  私たちの救い主は、私たちの行いではなく、御自身の憐れみによって  
テトス3:1-11 私たちを救って下さいました。救いの感謝が善き業へと促します。  
  信仰を持った者は、御言葉に聞き、御言葉に従う者とされます。これ  
テトス3:12-15 こそが良き行いへと結び付くのであり、信仰の実りの結果です。  
  信仰者としての善き行いにより、兄弟姉妹に対する大きな喜びとなり、  
フィレモン1-7 慰めとなります。主にある兄弟姉妹の豊かな交わりにあるのです。  
  オネシモは奴隷でした。しかし信仰者となった今は、主人と奴隷の前  
フィレモン8-25 に、兄弟姉妹としての豊かな交わりにあり協力し合うことが出来ます。  
  御子によって語られた御言葉こそこの聖書です。だからこそ聖書にこ  
ヘブライ1:1-4 そ神による救いに関わる全てのこそが記されているのです。  
  父なる神と御子の関係をしっかり覚えよう。両者は働きが異なります  
ヘブライ1:5-14 が、主なる神であることには変わりなく、私たちが礼拝すべき方です。  
  私たちは罪の故に死に定められていました。しかし信仰の故に罰から  
ヘブライ2:1-4 逃れ救われたのです。この喜びに無頓着であってはなりません。  
  私たちの罪を贖い肉体の死を遂げるためにキリストは人として遜り誕  
ヘブライ2:5-18 生されました。キリストの試練と苦しみこそ私たちの救いのためです。  
  万物を創られたのは主です。万物を治め、神の家を治めているのはキ  
ヘブライ3:1-6 リストです。キリストにこそ、私たちの永遠の確信と希望があります。  
  主の加護にありながら主を信じなかったイスラエルは40年間荒れ野で  
ヘブライ3:7-19 さまよいました。主を信じることにより主の安息が与えられます。  
  神様の御前では私たちは全てさらけ出されています。主を信じ主の御  
ヘブライ4:1-13 言葉に従って歩む者には主から安息、つまり救いが約束されています。  
ヘブライ 神の子イエスは私たちと同様に試練に遭われたのであり、私たちの苦  
    4:14-16 しみ・悲しみの全てを受け入れ、必要な助けの手を与えて下さいます。  
  キリストは神から使わされた大祭司として、私たちの罪の贖いのため  
ヘブライ5:1-10 に十字架にお架かり下さいました。  
ヘブライ 信仰の成長は継続的な御言葉の訓練により可能となります。いつまで  
    5:11-14 も乳飲み子でいるのではなく、日々聖書の言葉に耳を傾けましょう。  
  信仰が成長するためには教理の積み重ねが必要です。すると希望と熱  
ヘブライ6:1-12 心さが増し加えられ、主から離れることはありません。  
ヘブライ 主はアブラハムに対して救いの約束を行い、誓われました。その約束  
       6:13-20 と誓いが今私たちに向けられています。神は偽ることがありません。  
  アブラハムはメルキゼデクに1/10を献げました。救いと全ての私たち  
ヘブライ7:1-10 の必要を満たして下さる主に、私たちも喜んで献げるべきです。  
ヘブライ メルキゼデクと同じような別の祭司としてキリストは立てられ、私た  
       7:11-28 ちの罪の贖いと救いをもたらすために、十字架に架かられました。  
ヘブライ 大祭司キリストはご自身を十字架に献げることにより、神と人との仲  
    8:1-13 保者となられました。これが旧約で指し示していた新しい契約です。  
  大祭司の贖いは毎年繰り返される必要があり、生け贄は良心を聖める  
ヘブライ9:1-10 ことは出来ず不完全でした。これはキリストが来られる時までです。  
ヘブライ キリストの十字架は、ただ一度の永遠の贖いが成し遂げられたのであ  
    9:11-22 り、十字架で血を流され、私たちの罪の赦しが成し遂げられたのです。  
ヘブライ キリストは最初、降臨され私たちの罪を償うため十字架にお架かり下  
   9:23-28 さいました。そして私たちを救うため再臨して下さいます。  
  旧約のいけにえは毎年繰り返されました。しかしそれは完全な清めで  
ヘブライ10:1-4 はありません。完全な清めはキリストの十字架によってなされました。  
ヘブライ キリストの十字架は、主への唯一の献げ物であり、キリスト者を永遠  
   10:5-18 に完全な者にするためでした。従っていけにえは廃止されたのです。  
ヘブライ キリストの十字架による救いの約束があるからこそ、私たちは救いへ  
   10:19-25 の感謝と揺るがぬ希望をもって主に仕えていこう!  
ヘブライ キリストの十字架を侮辱しキリスト者を迫害する者は主による復讐(裁  
   10:26-39 き)がもたらされます。救いの確信を持って、忍耐して主に従おう。  
ヘブライ 信仰とは、罪の赦しと永遠の生命である神の救いを確信し、まだ見ぬ  
   11:1-12 事実を確認して、希望と喜びをもって歩むことです。  
ヘブライ 信仰によって与えられる約束は地上での生涯では手に入れられません。  
   11:13-22 しかし神は、信仰者のために天の故郷(神の国)を準備しておられます。  
ヘブライ モーセは見えない方(主)を信じて、ファラオの前に立ち、イスラエル  
11:23-31 をエジプトから救い出す主の働きのために仕えました。  
ヘブライ 信仰による迫害の故に死についた者も、主の栄光に満たされ、神の国  
11:32-38 における主の喜びと祝福に満たされています。  
ヘブライ 地上における迫害は苦しみです。しかし主は神の国において、真の喜  
11:39-40 び、祝福に入れて下さり、地上での苦しみは無駄にはなりません。  
ヘブライ 主イエスは私たちの救いのために十字架の苦しみと死に耐え忍び、神  
12:1-3 の玉座の右にお座りになりました。苦しみに耐え抜き信仰を貫こう。  
ヘブライ 迫害は父なる神による鍛えであり、鍛錬となります。鍛錬を受けるこ  
12:4-13 とにより、私たちは義という平和に満ちた実を結ばせるのです。  
ヘブライ 目先の欲望のために主を裏切る者は、主によって拒絶されます。しか  
12:14-24 し主を信じる者に与えられるのはいける神の都、天のエルサレムです。  
ヘブライ 私たちの求めている天は、揺り動き取り除かれることがない、永遠の  
12:25-28 喜びに満たされた世界です。感謝して喜んで神に仕えていこう。  
  主が私の助け手です。主が常に一緒におられ、私たちを助けて下さい  
ヘブライ13:1-6 ます。だからこそ私たちは共にいて苦しみを覚える人を助けよう。  
ヘブライ 主の言葉を語り、信仰を貫いた人たちに倣うべきです。人々の心は移  
13:7-19 り変わりますが、主の救いの契約は変わることはありません。  
ヘブライ 主イエス・キリストは、私たちの救いのために、十字架の死と遂げて  
13:20-25 下さいました。主によって与えられる平和が私たちと共にあるように。  
  試練は主から与えられるのであり、主はその上で守って下さいます。  
ヤコブ 1: 1- 8 忍耐することで信仰が養われます。主を信じ、主に委ねましょう。  
  この世の富は、あくまでこの世限りであり、天に富を積むことは出来  
ヤコブ 1: 9-11 ません。富を追い求めるのではなく、尽きない命を求めよう。  
  試練は主からであり、私たちの信仰が鍛えられるために必要です。し  
ヤコブ 1:12-18 かし誘惑は悪のそそのかしです。誘惑に陥らぬよう心得よう。  
  人の話しはよく聞くことは重要なことです。しかし自ら話すのは慎重  
ヤコ ブ1:19-27 さが必要です。言葉において人を傷つけることがあるからです。  
  人を分け隔てし、立派な人を尊び、そうでない人をさげすむのは、主  
ヤコブ 2: 1-13 の愛に反することです。律法の一つを疎かにすることも罪です。  
  信仰がある者は、信仰に伴い律法を全うすることによる行いが伴いま  
ヤコブ 2:14-26 す。行いの伴わない信仰は死んだも同然です。  
  皆が牧師に召されているわけではありません。人には多様な賜物が与  
ヤコブ 3: 1-12 えられており、各々に相応しい働きがあります。  
  神からの知恵は、純真で温和で、優しく、従順で、憐れみと良い身に  
ヤコブ 3:13-18 満ちています。偏見はなく、偽善的でなく、平和を実現することです。  
  戦いと争いを起こすことを、主は決して望んでおられません。主の御  
ヤコブ 4: 1-10 前にへりくだり、平和を求める時、主は私たちを高めて下さいます。  
  律法を定め、裁くお方は、主お一人です。律法を歪め、律法によって  
ヤコブ 4:11-12 人を裁く者は、主による裁きがもたらされます。  
  明日の命は、私たちには分かりません。主が定めておられます。自ら  
ヤコブ 4:13-17 高ぶることなく、主がお与え下さる命に感謝と喜びを持って行きよう。  
  富を蓄え、主の御言葉に聞き従わないことは、罪です。富もまた主か  
ヤコブ 5: 1- 6 ら与えられたものであり、主と人々のために用いるべきです。  
  忍耐が求められます。しかし耐え忍ぶ者は救われます。主の御声に聞  
ヤコブ 5: 7-20 き従い、共に祈り、助け合うことにより、主の恵みが与えられます。  
  試練によって精錬され、本当の信仰の実りが与えられます。主は生き  
ペトロ一1:1-12 生きとした希望、朽ちず汚れずしぼまない財産を受け継がせて下さる。  
ペトロ一 時代は移り変わります。しかし主の言葉は永遠に変わりません。主の  
       1:13-25 御言葉に聞き従う時、私たちは永遠の希望が主から与えられます。  
  主イエスは人々から見捨てられ十字架に架けられましたが、神にとっ  
ペトロ一2:1-10 ては選ばれた尊い存在です。人の声ではなく、神の声に聞き従おう。  
ペトロ一 立派な生活、国の制度に従う生活が求められます。主に従いつつ、制  
       2:11-17 度に従う事により、人々への証しとなり、神の国の前進に繋がります。  
ペトロ一 主人・上司に仕えることが求められます。私たちはキリストが十字架  
       2:18-25 までも従順に従われた道に倣うことが求められています。  
  人の価値判断は外面的なものではなく、内面的な人柄によるべきです。  
ペトロ一3:1-7 夫と妻は、互いに尊敬し、理解し合うことが求められています。  
  人は神の信じる者に対して害を加えることもあります。しかしキリス  
ペトロ一3;8-22 トによる救いに希望を持ち、謙虚に穏やかに敬意をもつべきです。  
  罪の生活から離れ神を信じて歩むことは、肉において裁かれたようで  
ペトロ一4:1-11 霊に生きているのです。愛こそが罪を覆い隠すのです。  
ペトロ一 キリスト者として罪の故に裁かれる者であってはなりません。キリス  
       4:12-19 ト者故に裁かれるのであれば、神が崇められ、祝福が与えられます。  
  長老たちの献身的で群れの模範となる行為、そして若者たちが長老や  
ペトロ一5:1-11 年長者に従うことこそがキリスト者の姿であります。  
ペトロ一 神はあなたに救いの恵みをお与え下さいました。世的な事柄に左右さ  
       5:12-14 れることなく、この神による真の恵みに留まり続けましょう。  
  御言葉による養いを続け、神の言葉を読み解く訓練をすることにより、  
ペトロ二1:1-11 主からの恵みに与る豊かな実りが与えられます。  
ペトロ二 パウロはこの世での歩みを「仮の宿」だと語ります。つまり、私たち  
   1:12-15 の本国は神の国であり、地上の歩みがすべてとなってはなりません。  
ペトロ二 聖書の言葉は自分で好き勝手に解釈すべきではありません。主が聖霊  
   1:16-21 を通してお語りになること、牧師の解釈を聞くことが求められます。  
  聖書を偽って語る偽牧師に注意せねばなりません。偽牧師であるか否  
ペトロ二2:1-3 か判断するため、私たちも聖書解釈を行う力を備えねばなりません。  
ペトロ二 主は、主に従わない正しくない者たちを必ず罰し、一方、主に従う信  
   2:4-10a 仰を持つ者を必ず試練から救い出し、祝福で満たして下さいます。  
ペトロ二 汚れた情欲の赴くままに肉に従って歩み、神の権威を侮る者たちは、  
   2:10b-16 罪に罪を重ねていきます。主の裁きをあなどってはなりません。  
ペトロ二 罪を重ねる人々に、用意されているのは暗闇です。地上における一時  
   2:17-22 を快楽にふけっても、永遠の暗闇から抜け出すことは出来ません。  
  ノアの時代、水による裁きを受けました。最期にもたらされるのは火  
ペトロ二3:1-7 による裁きです。信仰によらなければ、誰も避けることは出来ません。  
ペトロ二 すべてのものは滅び去ります。だからこそ私たちは救いをもたらして  
    3:8-13 下さる主を信じ、聖なる生活をすることが求められているのです。  
ペトロ二 不道徳な者にそそのかされることなく、主の御言葉に聞き従う堅固な  
   3:14-18 信仰を持つよう、日々の鍛錬が求められます。聖書日課を続けよう!  
  命の言である御子は、天地万物の創造の初めからあります。永遠の生  
ヨハネ一1:1-4 命を持っておられる方が、私たちに救いをもたらして下さいます。  
  神こそが光です。光のうちを歩み、闇を退けようとする時、主は真の  
ヨハネ一1:5-10 罪の赦しと不義からの清めをお与えくださいます。  
  神の愛の内に、救いの道を歩む者は、神の掟である律法(十戒)に聞き  
ヨハネ一2:1-6 従い、キリストに倣う生活を行います。神の愛の内に生きよう。  
  世を愛する人は、神の救いの内にはありません。神の愛の内に、救い  
ヨハネ一2:7-17 に生きようとする者は、神の御心を聞き、行い続けます。  
ヨハネ一 教会から離れ、信徒を欺く反キリストが現れます。反キリストにだま  
   2:18-27 されないためにも真理の御言葉に聞き、教理を学ぶ必要があります。  
ヨハネ一 神さまを信じる私たちは神の子とされています。神の子は、御子によ  
      2:28-3:10 って罪が赦されています。主は神の子に正しい生活を望まれます。  
ヨハネ一 キリストの十字架の死こそ、神の私たちに対する愛の表れです。神に  
   3:11-18 愛されているからこそ、私たちは兄弟姉妹を愛することが出来ます。  
ヨハネ一 神の掟(十戒)を守る人は、神の内にいつも留まり、神のその人の内に  
   3:19-24 留まっていて下さいます。神が共にいて下さるからこそ安心です。  
  偽預言者(偽牧師)が現れます。だまされることがないよう、私たちは  
ヨハネ一4:1-6 神の言葉である聖書を読み、自ら判断する能力が求められています。  
  神が私たちを愛し、救って下さいました。真実の愛を知る者は、人を  
ヨハネ一4:7-21 も愛せます。人を憎む者は、真実の愛を知らないからです。  
  イエスがメシア(キリスト)であると信じる人は皆、神の子です。神の  
ヨハネ一5:1-5 子は神を愛して神の掟を守り、兄弟姉妹を愛することが出来ます。  
  キリストは、信じる者の救いのために十字架にお架かり下さいました。  
ヨハネ一5:6-12 それ故、私たちは永遠の生命が与えられ、救いの喜びにあります。  
ヨハネ一 神の子の名を信じている者は、救われ、永遠の命を得ています。そし  
      5:13-21 て何事でも神の御心に適うことを願うなら聞き入れられます。  
  真の愛は、真理を知っている者からしか出て来ません。そして真理は、  
ヨハネ二 1- 3 神によって与えられる永遠の命に繋がっています。  
  イエス・キリストを神と信じ、その教えに聞き従うことにこそ、真理  
ヨハネ二 4-11 と真の愛があります。この教えの他に真の救いはありません。  
  書き記された神の御言葉は聖書のみです。しかし聖書が解き明かされ、  
ヨハネ二 12-13 教えが信仰生活において生きるために学び続けることが求められます。  
  キリストに結ばれ神の子として歩み続けていることの報告を受けるこ  
ヨハネ三 1- 4 とこそが、ヨハネとしての喜びであり、キリスト者の喜びです。  
  善き生活を送っている人の生活に倣うことは重要です。何よりも私た  
ヨハネ三 5-12 ちはキリストに倣って歩むべきであり、悪に倣ってはなりません。  
  直接会い、信仰について語り合うことは重要なことです。特に個人的  
ヨハネ三 13-15 なことなど、誤解を招く恐れのあることは直接語る必要があります。  
  私たちの信仰とは何か?主が救って下さること、主に従わない者に対  
ユダ 1-7 する裁きを行われることを信じることです。偽預言者に気をつけよう。  
  夢想家たちの不信心な生き方に従ってはなりません。巧みな言葉にだ  
ユダ 8-16 まされることなく、御言葉に聞き、社会状況を賢く理解すべきです。  
  今は終末の時代です。偽預言者は出てきます。だまされることなく、  
ユダ 17-23 御言葉と祈りとにより、主への信仰を拠り所としなければなりません。  
  私たちを罪に陥らないように守って下さり救いに導いて下さるお方は、  
ユダ 24-25 主お一人です。主を信じ、主に栄光を帰する生活をしましょう。  
  主なる神さまは、今も生きておられます。そしてやがて御子を再びこ  
黙示録 1: 1- 8 の世にお使わし下さいます。生きて働く主なる神さまを信じよう。  
  主の御前に出る時、私たちはその威光により立っていることすら出来  
黙示録 1: 9-20 ません。7つの教会とは、現在の教会・信仰者の姿を示しています。  
  主は私たちの行い・労苦・忍耐を理解して下さいます。しかし、私た  
黙示録 2: 1- 7 ちは、自分よがりになり、初めの信仰・愛から離れてはなりません。  
  信仰の故に迫害を受ける時が来ます。苦難を避けて、主を裏切っては  
黙示録 2: 8-11 なりません。肉体は死んでも、永遠の生命は取り上げられません。  
  サタンの誘惑があっても主への信仰を捨ててはなりません。決して偶  
黙示録 2:12-17 像を拝んではなりません。勝利を得る者に新しい名が記されています。  
  偶像崇拝と共に、姦淫は主の御前に罪です。罪に対する悔い改めを行  
黙示録 2:18-29 わないならば、主による裁きが下されます。悔い改め主を信ぜよ。  
  名ばかりの信者は主による裁きを受けます。キリスト者の名ではなく、  
黙示録 3: 1-6 真の信仰生活をすることにより、真の救いに与る者であろう。  
  主の国の門は開いています。私たちは弱く信仰に忍耐が強いられます。  
黙示録 3: 7-13 主を信じ続ける者に、主からの救いは約束されています。  
  主を信じることは、主を信じ、主を礼拝し続ける者であることです。  
黙示録 3:14-22 生きて働く主からの救いの確信があるからこそ信じることが出来ます。  
  天上における礼拝の様子が黙示されています。ここではもう罪はあり  
黙示録 4:1-11 ません。主を誉め讃え、主からの恵みと祝福に満たされます。  
  神の国では、あらゆる種族・言葉の違う民・民族・国民が集められ、  
黙示録 5: 1-14 主による救いに感謝して主を讃美しています。私たちもそこに集おう。  
  終末には艱難が待ち受けます。しかし主は最後の神の民が集められる  
黙示録 6: 1-17 まで、最後の審判と神の国の完成を待っておられます。  
  神によって刻印を受けた神の子は全て、救われ、神の国に集います。  
黙示録 7: 1- 8 主なる神を信じる私たちも、ここに加えられているのです。主に感謝。  
  神の国における神礼拝。どれほど素晴らしいものであろう。週毎の礼  
黙示録 7: 9-17 拝が天国の礼拝のひな型ですが、それ以上の喜びが神の国にあります。  
  神の国における神礼拝においても、祈りは重要なことです。この祈り  
黙示録 8: 1- 5 は、救いの感謝と喜びに満たされ、神の栄光を称えるものであろう。  
  再び終末の艱難が語られます。様々な災害・戦争が起こります。その  
黙示録 8: 6-13 中にあって主への信仰を貫く者は、主による祝福に満たされます。  
  主による救いに招かれている者は、主によって額に神の刻印が刻まれ  
黙示録 9: 1-11 ています。主を信じる者は神の書にその名が記されています。  
  人は主の裁きとして全人口の1/3が殺されたとしても、なおも偶像崇拝、  
黙示録 9:12-21 殺人、姦淫、盗みなどの罪を悔い改めることはしません。  
  福音は、自らの罪の故に腹には苦く感じるが、口からは密のように甘  
黙示録10: 1-11 いものです。福音に聞き続け主の恵みに満たされ続けよう。  
  新約の教会は大艱難の時代です。しかしそれは42ヶ月(3年半)であり、  
黙示録11: 1-14 7年(完全数)には足りず終わりの時があります。主の勝利を待とう。  
  主は永遠から永遠に生きておられます。そして最後の審判において主  
黙示録11:15-19 に逆らう者を裁き、主を信じる者を救いに導いて下さいます。  
  キリストの十字架により、サタンの戦いはこの世にあっては決定的で  
黙示録12: 1-18 す。しかしサタンは最後の力を振り絞り、神の民を迫害します。  
  神を冒涜する獣(偶像)が力をふるいます。神の民である小羊の書にそ  
黙示録13: 1-10 の名が記されている者以外の者は、この獣に従い、滅びに向かいます。  
  終末の時代には、教会に偽預言者(小羊に似た者)が来て、教会で行っ  
黙示録13:11-18 ていることと同じようなことを行い、神の民を惑わします。  
  144,000人(完全数)は、神の民とされる全ての民であり、神の国の完成  
黙示録14: 1- 5 により完全に清くされた者たちで、神を信じる私たちも含まれます。  
  終末の時、主への信仰を守る者に対する迫害がもたらされます。しか  
黙示録14: 6-13 し主への信仰を守り続けることにより、主は祝福をお与え下さいます。  
  終末の時の主による刈り入れ、第一は毒麦であり主に逆らう者の裁き  
黙示録14:14-20 のためであり、第二は良い麦であり主による救いに与るためです。  
  主の裁きは正しく真実です。そして主の裁きは、主に逆らう者にとっ  
黙示録15: 1- 8 ては恐怖をもたらすものですが、主を信じる者には恵みです。  
  改めて最後の審判の様子が語られていきます。終末には様々なしるし  
黙示録16: 1-21 がもたらされます。しかし主を信じる者は恐れることはありません。  
  地上においてどれだけ着飾っていても主を信じなければ主の裁きにあ  
黙示録17: 1-18 います。だが主を信じ主と共に歩む者には主の勝利がもたらされます。  
  最後の審判の恐怖の様子が語られていきます。主による救いに与らな  
黙示録18: 1-24 ければ、誰もこの恐怖を乗り越えることなどできません。  
  主の裁きは真実で正しいのです。みだらな行い、自らをおごり高ぶる  
黙示録19: 1- 4 者は主による裁きを受けます。主の御前に罪を隠すことは出来ません。  
  神を畏れ、神をたたえる者に、主は祝福をお与え下さいます。私たち  
黙示録19: 5-10 に求められていることは、この主を礼拝し、讃美し続けることです。  
  獣・偽預言者は捕らえられ、主によって滅ぼされます。しかし神の言  
黙示録19:11-21 葉に聞き従う者には、主による救いが与えられ、恵みに満たされます。  
  第一の復活にあずかる者、つまり主を信じる者には、第二の死はなく、  
黙示録20: 1- 6 キリストと共に神の国における永遠の恵みと祝福に満たされます。  
  キリストは、主を信じることなく、自らおごり高ぶる者たちを滅ぼし  
黙示録20: 7-10 尽くします。主を信じない者は誰一人として逃れることは出来ません。  
  主の裁きは、裁きに立つ者の生きている間の全ての行いに従い、裁き  
黙示録20:11-15 を行います。主を信じなければ、誰も逃れることは出来ません。  
  最後の審判の後、主によって永遠の命に与った者たちに、新天新地が  
黙示録21: 1- 8 与えられます。ここに住む者はもはや誰も死ぬことはありません。  
  神の都について語られていきます。この世にはないものであり抽象的  
黙示録21: 9-27 に語られています。この神の都こそ、キリスト者の喜びです。  
  神の国にあっては全てが満たされています。神の子である私たちは、  
黙示録22: 1- 5 人間の最も祝福された状態である神を礼拝し続けることが許されます。  
  聖書の御言葉を守る者に、主の幸いが与えられます。終末になり、神  
黙示録22: 6-11 に従う神の民と不正を行う者が明らかに分別されていきます。  
  命の水が欲しい者は、神を信じ神の御言葉に従います。命の水により、  
黙示録22:12-17 神の国における永遠の生命が与えられます。  
  主イエスの恵みは、主を信じる全ての者と共にあります。神の御言葉  
黙示録22:18-21 である聖書の最初から最後まで、読み続けていきましょう。